面白いことをしたいと広告を志望した

Y君/広告会社内定


インターンのお題が独特で徹夜するほど熱中した

 お笑いが好き。旅行が好き。政治学が好き。目立ちたがり屋で面白いことをやるのが大好き。好奇心旺盛なくせに優柔不断で将来何の仕事をしたらいいのかさっぱり決まらない。それが3年生の夏の私の状態だった。
 当時は部活でキャプテンを務めていたこともあり、私の中には就活のしの字もなかったのだが、周りが少しずつインターンの話題をし始めるにつれてさすがに焦り始め、ようやくITや商社、旅行業界などのインターンサイトを見るようになっていた。ほとんどの会社のESが面倒くさくて中々筆が進まなかったが、その中で唯一、広告業界のインターンのESだけはお題が独特で、考えるのが楽しくてつい徹夜してしまうほど熱中してしまった。本当に些細なきっかけだったが、そこから漠然と、広告業界に行って面白いと言われるような仕事をしたい、と考えるようになっていった。
 その後、3年の冬にようやく部活も一区切りがつき、私の就活は少し遅れて、本格的に始まることとなった。

自分の足で自分の目で

 周りよりも圧倒的に就活のスタートが遅かった私はまず、その遅れを取り戻すべく、説明会やインターンなどとにかく足を動かしまくって情報をかき集めた。このご時世、ネットで調べればある程度情報がつかめてしまうのかもしれない。それでも私は自分の足で、自分の目で情報を得ることにこだわった。そうすることでESを書く時や面接などの「なぜ広告なのか?」「なぜうちの会社なのか?」という問いに、他人の言葉ではなく自分の言葉で表現できるようになったと思う。
 特にOB訪問や「マス読ライブ」など実際に広告業界で働いている人に話を聞くのはどんな説明会よりも具体的な話が聞けたし、自分が将来なりたい姿を具体的にイメージできるようになった。最初は何となく面白そうというミーハーな気持ちで目指し始めた広告業界だったが、様々な人に出会って、そのたびに志望度が高まっていった。
 そして3月に入り、冬も終わり始めて、怒涛のES提出ラッシュが始まった。ここでは、冬の時期に足を運んでしっかりインプットしてきたことが役に立った。「広告業界はエントリーが殺到するのでESの段階から気を抜くことができない」と言われていたので、書いた後は人に見せて添削してもらうようにし、自分でも一日置いてから文章を見直した。とにかく精度にこだわった。400字のESなら500字書いてから絞って内容の密度を高めたりした。ESの内容によっては書きづらいお題のものもあったが、どうやって読む人を笑わせてやろうかと考え始めると不思議と筆が進んだ。

ADKの集団討論では気負って空回り

 そして3月も後半に差し掛かり、ついに選考が始まっていった。自身最初の面接はインターンから早期選考を受けたDAC。志望度はそこまで高くなく、またWEB面接だったこともあり、そこまで緊張せずしゃべることができた。しかしその次に受けたデルフィスやベクトルの1次面接では激しく緊張。集団面接だったので周りの人のエピソードを聞いているうちに皆も緊張しているんだとわかり、少しずつ緊張がほぐれて、何とか通過できた。
 でも一方で、これだと先が思いやられるぞと感じていた。
 その次の週にはADKの1次試験があった。ADKは様々な選考方法があり、私が受けたのは1次試験からGD(グループディスカッション)。GDは対策不要だと考えて面接とESにばかり時間をかけていたのが仇となって、ここでは大いに失敗した。就活後半にかけて気づくのだが、私はどちらかというとどんどんアイデアを出すアイデアマンタイプ。それが変に気負って、向いていないリーダーとして頑張ろうとして空回り。GDというと目立ったほうがいいのかと焦ってしまうが、自分に合った役割で落ち着いて、場の雰囲気に任せてやるようにしてみると通過するようになった。就活サイトのタイプ診断も意外に馬鹿にできないもので大いに参考になった。
 そしてその次の週の3月22日には、いよいよ志望度の高い博報堂。以前危惧していた通り、いや更に思っていた以上に、ガチガチに緊張して前日の夜からなかなか寝付くことができなかった。いつもなら周りの人が緊張しているのを見て少しずつ平静を取り戻していくのだが、ペアになったもう一人がすごく自信たっぷりにそれも面接官をうまく引き込んでしゃべっていくのを見て余計に緊張。完全に雰囲気にのまれて普通のオーソドックスな自己紹介やガクチカ、志望動機を聞く面接だったのにもかかわらず、噛み噛みで自分でも今何を話しているかわからないくらい失敗してしまった。面接後のフィードバックでも「緊張してたね〜」「まるで原稿を読んでいるみたいだったからもっとリラックス!」と言われ、これは落ちたなとすぐわかった。
 だいぶ落ち込んでしまった私だったが、ゆっくり落ち込んでいる暇もなく次の日は朝日広告社の1次面接。緊張しないように、なんて思ってもできるはずなく、その日も相変わらず緊張。序盤からあまり上手にしゃべれなくて「また落ちてしまうかも…」と不安がよぎるが、ここで転機が訪れる。
 ESに書いてあった「M-1グランプリに出場して漫才を披露した」ことに興味を持たれ「ちょっと漫才の最初の部分やってみてよ」という無茶ぶりを受けたのだ。少し困惑したが、思いきって「どうも〜! ○○で〜す!」とやってみると自分の中で何かが吹っ切れた。そこで、就活の面接だからといって変に硬くなってしまって、完璧に話すことにとらわれすぎていた自分に気づいた。いつも通り、自分らしく、相手のことを笑わせてやろうという気持ちでしゃべるようにしてみると自然と言葉が出てくるようになった。面接官からの反応も良く「最初の印象とだいぶ変わったよ」と言ってもらうことができた。
 ここで少し流れをつかめた私は自信をもってベクトルの2次面接に臨むことができた。ベクトルは1次面接のオーソドックスな集団面接から一転、2次面接以降は一対一の社員との対談のような形式で選考が進められた。モチベーショングラフというものをその場で記入し、それに沿って質問がなされるというフランクな形式だったので、いい意味で緊張せずに臨めたと思う。質問では、「なぜ広告ではなくPRなのか?」という点を重視されているように感じた。また他社と比べると逆質問の時間が長かった。おそらく逆質問で本当に志望度が高いのか見極めているのだと思われる。

第1志望の電通が1次敗退でショック

 その後、GWの長い長い10連休を経て、いよいよ第1志望の電通の面接を迎えた。面接官2対学生1の個人面接でESの内容を深掘りしていくスタンダードな形式。面接を受けられるというだけでわくわくして、GW中にあらゆる質問を想定して準備をしまくった。
 どんな質問にも答えられる自信があった。面接の感触自体は悪くなく、これはいけるのではないかという期待感があった。しかし、結果は不通過。あまりにショックで何度も何度も確認したが変わらない。後から振り返ると、「面白い」と言われるような仕事がしたいという表現がなんとなく反応的に気に入られていなかったことが原因として思い至った。
 よく言われることだが、広告というお仕事は一見、面白そうで華やかなアイデアワークのように見えるが、その実、仕事の多くは地道なクライアントワーク。そのため「面白い仕事がしたい」という言い方をすると「この子は仕事への認識が甘いな」と思われてしまうリスクがある。私もその点は重々承知していて、「好きな広告は?」と聞かれた際にそこを補えるような回答を準備していたのだが、話す機会がなく終わってしまった。臨機応変に面接官の反応を見ながら軌道修正していく力が足りなかったなと反省した。
 あとは、志望度が高すぎて、話したいことが多すぎて簡潔に話せなかったことも原因の一つだったと思う。たくさん話すと安心感があるがそれは自己満足にすぎない。たくさん話してしまうのは自信のなさの表れだが、そこら辺を見抜かれてしまったのだろう。しかし、どれだけ悔やんでも面接をやり直すことはできない。反省点を踏まえて次の面接に切り替えるべきだ。
 頭では分かっていたが、なかなか実際はそういかなかった。1週間はずるずる引きずってその間の面接は落ちまくってしまった。他業界を受けている友人ではボチボチ内定が出始めていた時期ということもあって、焦りと自信のなさに押しつぶされそうだった。
 それでもなんとしても広告業界に引っ掛かりたい。その思いがあったから何とか立ち上がれた。電通名鉄コミュニケーションズの1次面接では「もし今、1千万円もらえたとしたら何に使う?」という質問をされ「皆さんに渡して何とか入社させてもらいます!」と言って大爆笑を取った。最早あながち冗談だともいえないくらい本気で広告業界へ行きたかった。
 日本経済広告社では1次面接から面接官が5人いてやや面食らったが、面接官が笑ってしまうくらい積極的に手を挙げて発言し必死にアピールした。
 もう後がない、と必死に猛アピールするようになったことで次々と面接を通過できるようになった。
 そして2週間の教育実習でいったん就活をストップしてから迎えた、6月13日のベクトルの最終面接。少し遅くなったがようやく初内定をもらうことができた。とりあえず社会人になれることにとてもホッとしたのを覚えている。1社内定をもらってからは、それが自信となって態度に出たのか、残りの面接にすべて受かり、最終的に広告業界からは5社内定をいただくことができた。

 全体を通して、お世辞にも成功とはいえない就活だったが、何とか広告業界に引っ掛かることができた。「落ちたくない」とネガティブに必死になるのではなく「何としても入りたい」とポジティブに必死になってから私の就活は好転した。就活中、今まで自分がやってきたことに自信を無くしたり不安になったりすることは多々あると思う。それでも「この業界に入りたい」という思いさえ揺らがなければきっと大丈夫。皆さんの就活がうまくいくことを願っています。


「冒険家になりたい!」そんな夢から出版社へ

Mさん/出版社内定:
「冒険家になりたい!」
 そんな子供のような夢から、私のマスコミ就活は始まった。

「歴史の最前線に立ちたい」その思いで記者をめざした

Y君/全国紙、キー局内定:
「歴史の最前線に立ちたい」
 東日本大震災、平和安全法制制定、北朝鮮によるミサイルの発射…。


アナウンサー就活から最終的にテレビの報道へ

Rさん/キー局、全国紙内定:
「文章を書くのがうまいね」
 小学校や中学校の教師からよくほめられた。

「なぜ記者になりたいか?」自分を見つめ直した就活

Tさん/全国紙・NHK・ブロック紙内定:
 幼稚園の頃、私は両親に「作家になりたい」と言っていた。高校時代は、



地方紙受験で始まった就活はキー局内定で幕

H君/キー局内定:
 私の就職活動の開始時期は1月と遅く、さらに、留学経験もなければ、大学でメディアについて学んでいたわけでもない。

「本を作る人になりたい」その思いから出版社へ

D君/出版社内定:
本が好きというだけでは志望動機にならない
 本を作る人になりたい、という思いは、


面白いことをしたいと広告を志望した

Y君/広告会社内定:
インターンのお題が独特で徹夜するほど熱中した
 お笑いが好き。旅行が好き。政治学が好き。目立ちたがり屋で