地方紙受験で始まった就活はキー局内定で幕

H君/キー局内定


 私の就職活動の開始時期は1月と遅く、さらに、留学経験もなければ、大学でメディアについて学んでいたわけでもない。きっと、これを読むであろうマスコミを目指す人の多くが、私よりも早くから対策をし、優秀であるはずだ。ただ、そんな中にもきっと私と同じようにこんな自分がマスコミを目指せるのだろうか"と踏み出せない人がいると思う。私の経験がそんな人たちの励みになれたら嬉しい。また、私は地方紙をメインに就活をしていたため、その経験も伝えることができたら幸いだ。

12月の説明会を機に「やっぱり記者になりたい」

 記者という仕事に就きたいという気持ちは、幼い頃からぼんやりと抱いていた。新しいことを知る"ということに何よりも喜びを感じていた私は、記者という仕事なら最前線で物事に触れられると考え、小学校の卒業文集にも「将来の夢は新聞記者」と書いた。ただ、記者になるということが甘くないことも知っていた。倍率は高く、高学歴の人ばかりというイメージもあった。そのため、高校に入学する頃には記者は叶わない憧れで、現実的には地元で普通の会社員になるのだろうなと考えていた。そんな思いのまま地元の大学に入学、気がつけば大学3年の冬、部活引退が迫っていた。
 私は3年の12月まで就職活動を一切せず、部活動一色の生活を送っていた。マスコミ就職なんてとうの昔に諦め、地元の企業に入社できればいいと思っており、就職活動自体も疎かにしていた。
 そんな私に転機が訪れたのは、12月にあった地元企業が集まる合同企業説明会だった。大手就活サイト主催のこの説明会の中には地元の新聞社のブースがあり、ちょっと話を聞いてみようかと立ち寄った私は、完全に心を奪われた。自分が憧れた仕事の話を聞くうちに「やっぱり記者になりたい」という幼い頃のドキドキ感を思い出した。ただ、12月まで就職活動を一切していなかった自分に自信があるわけもなく、当初は地元企業を受けつつ、地方紙を数社だけ受けてみようかなという程度の気持ちだった。ましてや、全国紙など頭の片隅にすらなかった。
 年が明けると、これまでの就活の遅れを取り戻そうと、少しでも多くのインターンに参加した。自信のかけらもなかった私は、選考のない地方紙のインターン、地元企業のインターンに参加した。そんな中1社だけ書類選考のある愛媛新聞社にも応募してはみたが、あっけなく落とされた。今考えれば出来の悪いESだったので当たり前だが、「ああ、インターンですら自分は通らないのか」と実力のなさをひしひしと感じ、落ち込んだ。
 2月に参加した地方紙のインターンは楽しいという気持ち反面、焦りを感じた。新聞社の仕事について知れば知るほど心惹かれ、目の前にいる記者のようになりたい、ここで働きたいと感じた。しかし、そんな気持ち以上に痛感させられたのは、自分の無知さ、準備不足だった。他の参加者の自己紹介を聞いたり、質問している姿を見て、自分とのマスコミに関する知識量の差に驚いた。自分だけが基本的なことすら知らない子どもであるかのように感じた。夏のインターンを経験している人、全国紙の早期選考に参加している人などがおり、こんな人たちと少ない枠を争うのかと思うと、心が折れそうだった。
 それでも、なんとか遅れを取り戻そうと必死でインターン、説明会で地方を巡り、記者という仕事、新聞社について勉強し続けた。そして、3月に入る頃にはマスコミ就職一本に絞ることを決意した。地方紙でいいからマスコミに入るんだと決め、西は九州、東は関東の新聞社までエントリーした。もしも今年ダメなら来年も挑戦すればいい、大学院に行く手もある、と自分に言い聞かせていた。

地方紙がメインの試験は4月から本格化

 全国紙は3月から本選考が始まるが、受かる気もしない上にESが間に合わず、朝日、読売、日経は諦め、ギリギリでESが提出できた共同通信が私にとっての最初のマスコミ受験となった。共同通信の1次は面談と筆記試験だったが、どちらも惨敗だった。急いで作り上げたESの出来はひどく、面接中に自分でもこれでは受からないと感じ、ESの大切さを感じた。ESは選考の材料という役割に加え、面接を進める際の資料にもなる。そのため、ESの内容が悪いと、まともに自分をアピールできる面接にならない。共同の敗退で、やはり自分には大手マスコミは無理だと悟ったが、それと同時に今の自分の改善点も見え、次にこれを活かそうというやる気も湧いていた。
 地方紙をメインで受けていた私の就活は4月から本格化した。4月20日に神戸新聞社の筆記試験、4月24・25・27日には宮崎日日新聞、長崎新聞、熊本日日新聞という九州の新聞社の試験が続いた。
 九州の新聞を受ける中で、「なぜ、縁もゆかりもない新聞社に来たいの?」という質問をしばしばぶつけられた。これは地方紙を沢山受ける人は必ずぶつかるところであると思う。自分に縁のある土地であれば、この場所で記者をしたいという理由も良いと思うが、そうでないのであれば、土地に対する熱意では地元出身者には敵わない。このような質問を受けた時は、その新聞社の紙面、発行媒体、取り組みに惹かれた"というのが賢明だと受ける中で実感した。
 地方紙は全国紙に比べて紙面に直接触れるのは難しいと思われているが、東京であれば全国各地の地方紙を揃えている図書館は幾つかあるし、地方でも図書館によってはある程度他地域の地方紙を揃えている。それでも見つからない新聞があると、私の場合、試験前日に前乗りし、その新聞社近くの図書館で新聞を2カ月分ほど読んでから試験に臨んでいた。九州には縁もゆかりもなかったが、紙面研究の甲斐もあり、受験した3社のうち2社、最終面接まで進むことができ、自信につながった。
 振り返ってみると、とにかく自らの頭で考え続けた"マスコミ就活だった。特別な能力や経験はない自分はとにかくESや面接、また作文に至るまで、エピソードではなく、考え方で自分を売ろうと意識していた。経験は平凡でも、その中から自分だからこそ感じたことを伝えた。また、マスコミの面接で頻繁に聞かれる、「最近気になるニュースは」という問いには、取り上げたニュースに対して、通常とは違う角度からの視点、自分の身の回りで起こったそのニュースに繋がること、全く関係のない別のニュースとの接点、自分ならどのようにニュースとして伝えるかなどを考えて準備した。
 また、何よりも活力となっていたのは負けん気だった。地方の大学に通い、金銭的に余裕もない。情報量も少なく、マスコミ就活について相談できる人も少なかったが、それを言い訳にしたくなかった。電車や夜行バスで全国を回り、終わってみれば地球3分の2周分の距離を就活だけで移動していた。

ブロック紙の内定を得て全国紙やNHKも受験

 ゴールデンウィークが明けると、一気に試験が立て込んだ。5月は自分にとって優先度の高かったブロック紙、規模の大きな地方紙の試験が続いた。マスコミの面接で聞かれる質問は比較的似ており、面接を経験すればするほど、次に活かすことができた。面接終了後には近くのカフェに直行し、聞かれた質問と、それに対して自分が言ったこと、次に改善する点をまとめるという作業を続けていた結果、手応えも徐々に増してきた。
 5月中旬ごろには面接にも慣れてきて、終わった時に「これは受かった」という感触を感じられるようになってきた。そして、5月の終わりにブロック紙1社から内々定の連絡を受けることができた。こんな自分でも記者として働けるのかと思い、嬉しかった。
 ブロック紙から内定をもらった私はこのまま就活を続けるかを悩んでいた。地方紙に入ることができれば良いと初めは考えていた上に、就活当初に受験した共同通信社の惨敗も記憶にあり、大手には歯が立たないのではと思っていたからだ。
 ただ、最終的に「就活時期しか大手メディアの本社に入ることはできないし、ちょっと冒険してみたいな」というしょうもない好奇心に背中を押され、6月2日NHK、6月4日毎日新聞社を受験した。
 NHKも毎日新聞社も地方紙とは違い、面接は一部屋にブースが作られ、何人かを一斉に面接しており、さすがは大手と思った。どちらの面接も穏やかな雰囲気で、とても楽しかったと記憶している。1次面接はどちらも数日中に通過の連絡をいただいた。そこから、あれよあれよと面接を通過していき、6月16日NHKの最終面接を迎えた。最終面接前には、控え室として最上階の会議室に通され、その迫力に圧倒された。それもあって、ガチガチに緊張してしまい、面接の手応えもいまひとつだったため、帰りの新幹線の中で内定の連絡をもらった時はびっくりした。
 当初、新聞記者になりたかった私はNHKを受けようとあまり考えていなかった。しかし、記念受験と思っていた面接を通して、面接官である記者の方と共に報道について考えたり、記者の方々の報道への姿勢を感じ、引き込まれていった。その後、毎日新聞社も3次面接、最終面談と進ませていただいたが、辞退した。ずっと購読している新聞であり、こんな自分をここまで呼んでくださったと思うと心苦しかったが、NHKで挑戦してみたいという気持ちが優った。
 就活開始当初、地方紙のインターンすら通らなかった私が良い形で終わることができたのは、能力があったからではないと思う。とにかく、紙面研究を続けること、足で稼ぎ直接記者の方に話を聞くこと、面接を繰り返すたびに反省を重ねること、自分の考え方"を面接、ESに散りばめること、そのような積み重ねだったのだと感じる。以前の自分のようなマスコミを目指すか悩んでいる人にも是非マスコミ就活に挑戦してみてほしい。特別な能力や経験がなくとも、自分なりの見せ方、戦い方があって、様々な人間を受け入れてくれる業界であると思う。


「冒険家になりたい!」そんな夢から出版社へ

Mさん/出版社内定:
「冒険家になりたい!」
 そんな子供のような夢から、私のマスコミ就活は始まった。

「歴史の最前線に立ちたい」その思いで記者をめざした

Y君/全国紙、キー局内定:
「歴史の最前線に立ちたい」
 東日本大震災、平和安全法制制定、北朝鮮によるミサイルの発射…。


アナウンサー就活から最終的にテレビの報道へ

Rさん/キー局、全国紙内定:
「文章を書くのがうまいね」
 小学校や中学校の教師からよくほめられた。

「なぜ記者になりたいか?」自分を見つめ直した就活

Tさん/全国紙・NHK・ブロック紙内定:
 幼稚園の頃、私は両親に「作家になりたい」と言っていた。高校時代は、



地方紙受験で始まった就活はキー局内定で幕

H君/キー局内定:
 私の就職活動の開始時期は1月と遅く、さらに、留学経験もなければ、大学でメディアについて学んでいたわけでもない。

「本を作る人になりたい」その思いから出版社へ

D君/出版社内定:
本が好きというだけでは志望動機にならない
 本を作る人になりたい、という思いは、


面白いことをしたいと広告を志望した

Y君/広告会社内定:
インターンのお題が独特で徹夜するほど熱中した
 お笑いが好き。旅行が好き。政治学が好き。目立ちたがり屋で