「なぜ記者になりたいか?」自分を見つめ直した就活

Tさん/全国紙・NHK・ブロック紙内定


 幼稚園の頃、私は両親に「作家になりたい」と言っていた。高校時代は、「○○(日テレのバラエティー番組)のディレクターになる」と友人に豪語していた。昔からテレビや雑誌が大好きで、マスコミの仕事に憧れを抱いていた。
 そんなまだフワフワした気持ちで、大学3年の夏休みに、新聞社のインターンシップに参加した。「ペン一本で社会を動かす、時代を記録する」。ベテラン記者の講演を聞いて、大げさではなく全身に鳥肌がたった。何が何でも記者になる。その中でも、事件や社会問題を追う記者になる。そう決意したところから、約1年間に及ぶ私の記者就活は始まった。

記者になることだけを考え、がむしゃらに進んだ

 もともと時事問題の知識が浅かった私は、まず毎日1時間以上かけて新聞を熟読するようにした。忙しい日でも、1面・総合面・社説だけは必ず読むようにした。気になるニュースに関しては、電子版を利用して複数の新聞の読み比べもした。それから、第一志望と決めていた新聞社のインターンシップやイベントには、数えきれないほど何度も参加した。
 独自の問題意識を持ち、たくさんの人と会って直接話を聞く、記者の仕事について聞く度に胸が高鳴った。そしてイベントで出会う記者の方々の姿が本当に輝いて見えた。参加すればするほど、どうしても記者になりたいと思う気持ちは強くなった。
 しかし自分の記者就活で周りと比べて少し特殊だったのは、多くの会社のインターンシップに参加したわけではないということだ。第一志望の新聞社への気持ちがあまりにも強すぎたためだ。後にも述べるが、就活が本格化するにつれて、最初から会社を絞りすぎていたことを後悔した。よほどメンタルに自信がある学生以外は、全国紙は勿論、NHKや共同通信、ブロック紙等のインターンシップにも参加すると良いだろう。
 2月中旬に、ある全国紙のインターンシップに参加した。記者の方々とじっくりお話できる、大変学びの多い機会だった。会社の雰囲気を体感し、入社したいという気持ちがより一層深まった。しかしこのインターンシップは、就活をしていて初めて戸惑い、立ち止まる経験になった。
「君はなぜ記者になりたいの? 記者になって何を成し遂げたい?」
 記者の方とフランクに話している最中にそう尋ねられ、うまく答えられない自分に気が付いたのだ。帰宅した後、部屋のベッドに寝転がり、涙した。今まで一生懸命就活をしてきたつもりだったが、志望動機の一つも答えられない。自分の状況に愕然とした。

3月就活解禁、改めて志望動機を整理する

 3月1日になり、説明会が解禁した。まだ一つも内定を得ていない私は強く焦りを感じ、金融やインフラなど色々な業界の説明会を毎日回った。ブロック紙や県紙の説明会にも多く参加した。会社や選考についての説明だけでなく、記者の方々のお話を聞くことができるので、多くの新聞社の説明会に行ったのは良かったと思う。
 3月に何よりも辛かったのが、新聞社の筆記試験対策と説明会回りの両立だ。本格的に問題集などを使って対策を始めたのが2月後半以降だったため、精神的にも追いつめられかなり大変だった。読者の皆さんには、遅くても年明け頃から時事問題や漢字の勉強を始めるのをお勧めする。
 そして、5回にわたって開催される「マス読実践講座」にも参加した。私が作文対策として行ったのはほぼこの講座の参加のみだったが、筆記試験を通過しなかったことは一度もない。また同じくマスコミを志す就活生と親睦を深められる機会でもあり、とても良い刺激になった。講師をなさっている篠田先生には、就活が終わる最後の最後まで大変お世話になった。参加して非常に良かったと思っている。
 そして慌ただしい毎日を過ごす中で、「なぜ自分は記者の仕事に対してこんなにも熱い思いを持っているのか」立ち止まって考えた。私は社会部の記者となって、埋もれた社会問題を訴えたり、事件事故の取材を通して悲しんでいる人の声なき声を広く伝えたい。そう思うのは何故なのか、自分のそれまでの人生を振り返った。
 すると、頭の隅に追いやっていた、高校時代の辛い経験が浮かんだ。無理やり忘れようとしていたような経験だったが、それがあるからこそ自分は社会部での取材に携わりたいと強く思うのだ、と確信した。ESや面接でその経験や自分の思いを伝えられるように、私の背中を押してくれた就活仲間にはとても感謝している。
 4月4日、読売新聞社の本選考1次面接。それまでのインターンシップ等のイベントで、大変お世話になった人事部の方だった。「この人になら話せる」そう思い、たどたどしくもその高校時代の出来事について話した。誰かに話すなんてそれまでは考えられなかったが、何だかとても心が軽くなった。しかし3日後の2次面接は大失敗に終わった。信じられないくらい緊張してしまい、自分の熱意や記者になってやりたいことなどをほぼ何も伝えられずに終わった。
 通過の電話はなかった。原因は単に、面接慣れしていなかったからだと思う。自分がどうしても行きたいと思う会社があっても、同業他社をたくさん受けておくことはやはり大事だ。4月になってそんな当たり前のことを思い知った。
 落ちた後しばらく放心状態が続いたが、クヨクヨしている暇はない。気持ちを入れ替えて、とにかく内定を貰うことに必死になった。メガバンクのリクルーター面接や通信会社のOG訪問に時間を割くようになった。しかしどんなに他業界の対策に追われていても、新聞を毎日読むことだけは欠かさなかった。金融の面接で「最近気になったニュースは?」と聞かれることも何度かあったので、やはり新聞は大事だと再認識した。

就活ピーク、全ての面接に自信をもって臨んだ

 5月後半に入りマスコミの面接ラッシュが始まった。最初は北海道新聞の1次面接。東京本社で2回面接が行われた。自分の準備不足で、「明日取材するなら誰を取材したい?」等の質問にうまく答えられなかった。
 帰り道に、今日の反省を他社で活かそうと気持ちを奮い立たせた。しかし筆記試験で書いた作文の評価が高かったらしく、通過。
 それから神戸新聞の2次面接が印象に残っている。面接会場のドアを開けると、8名程の面接官が1列に座っていた。「なぜ神戸なのか」「神戸で取り組みたい社会問題は何か」等の質問にうまく答えられず、県紙の就活の難しさを実感した。
 6月1日、朝早く家を出て飛行機に乗り、札幌に降り立った。道新の最終面接は、面接2回と集団討論が行われる。部長クラスの面接は正直かなり厳しい雰囲気のものだった。「なぜ全国紙ではなくブロック紙なのか」「その中でもなぜ道新なのか」をかなり深く掘られた。自分なりに準備してきたつもりだったが、雰囲気に圧倒されてアタフタしてしまった。「最近読んだ本で一番印象に残ったのは?」そう聞かれた頃にはもう頭が真っ白で、実写化された映画のタイトルを口走ったくらいだ。もう二度と来ることはできないだろう。そう思い、札幌駅の写真を1枚撮り刺身やザンギを食べてから東京へ帰った。
 3日、NHKの1次面接があった。現役の記者である面接官が、私の経験談を親身になって聞いて下さったことが印象的だ。その日のうちに通過連絡がきた。
 そしてその翌日、電話が鳴った。恐る恐る出ると、「北海道新聞社です」と女性の声だった。その後のことはあまり覚えていない。新聞記者になるという夢がやっと叶った。嬉しさがこみ上げてきて、思わず母親と抱き合った。
 その後は読売(2次募集)、毎日、中日と面接が立て続けだった。どの会社の面接官も私の話を一生懸命聞いて下さり、面接に行く度に志望動機の大切さを痛感した。名古屋本社で行われた中日の最終面接では、「もし今あなたがその経験をしたらどうするか」など深い所まで聞いて下さり、改めて自分を見つめ直すきっかけにもなった。1週間程たって合格の電話を頂いた。
 NHKの最終面接は、放送センターのほぼ最上階で行われた。立派な部屋に通され、ピリピリと気持ちが引き締まったのを覚えている。理事室に入る前に人事部の方々が緊張をほぐして下さったのがとてもありがたかった。
 面接官の理事の方々は、ESに沿ったシンプルな質問をして下さった。終始優しい雰囲気だった。「今やっている朝ドラ、見てる?」の質問には正直ヒヤッとしたが、素直に答えたら何の問題もなかった。その日に合格の電話を頂いた時は、本当に夢を見ているような気持ちになった。自分なんかがNHKに合格するなんて。
 ここで就活をやめてしまおうか、一瞬そんな考えが頭をよぎったが、私はどうしても新聞記者になりたかった。選考中の新聞社をそのまま受け続けることにした。約1週間後に行われた最終面接では、何故テレビではなく新聞記者になりたいのか、等と聞かれた。その夜、お世話になった人事部の方からお電話を頂き、私の就活は終了した。

特別なものは何もない私が、4社から内定を頂いた理由

 マスコミ就活の鍵を握るのは志望動機。私は強くそう思う。
 どうしても記者になりたいと熱意を持っている読者の皆さんには、その熱意がどういった経験から生まれたものなのか、改めて今までの人生を振り返ってみてもらいたい。
 自己分析をしっかりしておくと、面接での自信が全く変わってくる。それから、ぜひ信頼できる就活仲間や先生と出会ってほしい。作文の添削等だけではなく、悩んだ時に相談したり情報を共有できる関係はとても大切だ。そして、辛いことが多々ある就職活動だが、「せっかくだから楽しもう」というスタンスで取り組むべきだと思う。私はブロック紙の最終面接や県紙の面接で、色々な県に出向くことを心から楽しんでいた。面接が終わったら何を食べよう、とワクワクしていたし、時間があれば観光もしていた。また「就活生です」と言うだけで沢山の大人に会うことができるのも醍醐味だ。マスコミ関係の講演会に多く足を運んだし、様々な新聞社の記者さんと会ってお話を伺った。ただこなすだけの就活ではなく、その後の人生にとって有意義なものになるように工夫することがベストだろう。これを読んで下さった皆さんと将来一緒に働けることを楽しみにしている。


「冒険家になりたい!」そんな夢から出版社へ

Mさん/出版社内定:
「冒険家になりたい!」
 そんな子供のような夢から、私のマスコミ就活は始まった。

「歴史の最前線に立ちたい」その思いで記者をめざした

Y君/全国紙、キー局内定:
「歴史の最前線に立ちたい」
 東日本大震災、平和安全法制制定、北朝鮮によるミサイルの発射…。


アナウンサー就活から最終的にテレビの報道へ

Rさん/キー局、全国紙内定:
「文章を書くのがうまいね」
 小学校や中学校の教師からよくほめられた。

「なぜ記者になりたいか?」自分を見つめ直した就活

Tさん/全国紙・NHK・ブロック紙内定:
 幼稚園の頃、私は両親に「作家になりたい」と言っていた。高校時代は、



地方紙受験で始まった就活はキー局内定で幕

H君/キー局内定:
 私の就職活動の開始時期は1月と遅く、さらに、留学経験もなければ、大学でメディアについて学んでいたわけでもない。

「本を作る人になりたい」その思いから出版社へ

D君/出版社内定:
本が好きというだけでは志望動機にならない
 本を作る人になりたい、という思いは、


面白いことをしたいと広告を志望した

Y君/広告会社内定:
インターンのお題が独特で徹夜するほど熱中した
 お笑いが好き。旅行が好き。政治学が好き。目立ちたがり屋で