「冒険家になりたい!」そんな夢から出版社へ

Mさん/出版社内定


「冒険家になりたい!」
 そんな子供のような夢から、私のマスコミ就活は始まった。
 漠然と出版社や新聞社に行きたいと思い始めたのは大学3年生の2月、就活解禁が迫る頃だった。当時の私は冒険家の高野秀行氏の著作にハマっており、自分も同じような生活がしたいと影響された。その願望は「毎日ハラハラしながら楽しく働き、誰もまだ知らないことを発掘したい」という思いに変わった。つまり、新聞記者か週刊誌記者、テレビ局のディレクターになればいいんだ!と、短絡的ではあるものの、人生で初めてなりたい職業を見つけた。

出遅れたことに気づいて手当たり次第OB訪問

 マスコミ就活について何の知識もなかった私は、本屋で手に取ったマスコミ就活本を読んで驚いた。どうやら出版社や新聞社に就職するには、相当前から準備しなければならないらしい。かなり出遅れていると気づいた私は、手当たり次第OB訪問を始めた。
 知人の先輩などを頼ったほか、大部分は複数のOB訪問アプリを使用。大手出版社の編集者、フリーの編集者、ディレクターや新聞記者、全然関係ないメーカーの方など、おそらく2カ月で30人以上はお会いした。OB訪問は会社について知ることはもちろん、ES・作文添削、自己分析や面接練習の場として、とても重宝した。編集者の方に「めちゃくちゃ作文つまんないね」と真顔で言われたこともある。
 もちろん人によってアドバイスは千差万別であり、いちいち全てを真に受ける必要はない。ただ、自分が人からどう見られるのか?どんなタイプの人と波長が合うのか?を考える良い判断材料になった。このとき出会った何人かの方には、就活メンターとしてその後もご指導いただいた。またOB訪問を通して、特に週刊誌の記者になりたいという思いが明確になった。
 2月3月はES添削とOB訪問、会社説明会であっという間に過ぎていく。3月上旬、初めにESが通過したのは集英社。4日後に筆記試験がある旨が知らされる。特に筆記試験対策をしていないことに気づき、付け焼き刃だがノーベル賞や芥川賞をチェック。実際の試験問題は難しいが、創意工夫に富んでいてすごく面白かった。普段テレビや新聞はあまり見ないが、毎日見ているツイッターで得た知識に救われた。無事通過。
 集英社1次面接。志望度の高い業界の初めての面接はガチガチに緊張していた。面接官は優しく話をふってくれたが、緊張からオーバートークになり、お祈り。
 3月末〜4月は出版社のES提出ラッシュが続き、16社ほど提出した。この頃が精神的に結構きつかった。出版のESは全て手書きで5枚などが普通の世界だ。計画的に書けばいい話だが、いつも締切ギリギリに始めては夜中まで書き、24時間営業の郵便局に駆け込む生活が続いた。会社最寄りの郵便局に行くと、速達なら当日でも届くことがあるから諦めないことが重要だ。
 また、この時期は面接自体に慣れなければと思い、教育やエンタメなど他業界を受け、3社に内定をもらった。その結果、私は黙っていると、とても真面目で誠実なイメージを持たれることがわかった。自分の第一印象を認識することはとても大切だ。というのも、マスコミの面接ではギャップがある人ほど好かれる傾向にあるからだ。真面目で大人しそうな印象の人はバイタリティ溢れるエピソードを、チャラチャラしてると思われがちな人は物事を深く考えている側面を見せるなど、自分のいろいろな部分をあえてさらけ出した方が良い。

面接漬けの5月6月…渋谷センター街で号泣の後

 5月は面接漬けの日々だった。文藝春秋1次面接では、かなり鋭い質問が飛んできた。「これからの政局はどうなる?」「小室圭さんについてどう思う?」など、週刊誌志望だと政治系の話題が多い。そこまでうまい返しはできなかったが通過。
 講談社の1次面接はそこそこ笑いもとれ、緊張もしなかったものの敗退。和やかで祈られると精神的に辛い。朝日新聞1次面接も、同様にかなり和気あいあいとした雰囲気だったがお祈り。よく「和やかだと落ちる」という都市伝説があるが、私の経験上でも厳しめの面接に通り、和やかな面接で落ちる傾向があった。
 本命企業に落ち続け、もうどうでもいいやという気分で挑んだ新潮社の1次面接は、窮する質問もあったもののうまく返せた。
「『週刊新潮』で震災特集するならどんなものをやりたい?」という問いに、とっさに昔『週刊新潮』が特集した飛行機事故のオマージュのような企画を答えると、「実はうちも昔同じような記事書いたことがあってね!」とウケた。偶然ではなく、国会図書館でバックナンバーを読み漁っていたおかげだ。通過。
 文藝春秋2次筆記は1次筆記よりもはるかに難しい。漢字は2割も回答できず、語句説明は半分しかわからなかった。逃げ恥の脚本家を「最近なくなったアナウンサー」ととんちんかんな答えをした。2次面接はなかなか厳しい雰囲気で、面接官の視線が強い。「会いたい人は?」という質問に「羽生結弦選手の政治思想が気になるから会ってみたい」と答えるとかなりウケた。それが効いたのかはわからないが通過。
 新潮社2次面接。面接官は眼力が鋭い男性2人。負けじと絶対に目をそらさないようにした。定番の「最後に言いたいことある?」という質問に、自分が初めて週刊誌を読んだ時の体験を話したところ手応えがあった。結果発表の緊張を紛らわすためにカラオケで熱唱していると、やはり通過連絡がきた。
 6月は5月以上の面接ラッシュだ。第1週は合計8回の面接がある、勝負の週だった。そしてNHKの面接が始まる月でもある。NHKはディレクター職で受けていたが、こちらの熱意と真剣さを問うてくる、一対一の濃い面接が続いた。ドキュメンタリーはどうすれば見てもらえるか、どうしたら取材させてもらえると思うか、など自分の考えをかなり掘り下げられる。ただこの頃になると、面接自体にはもう緊張しなくなっていた。社会人の方との雑談タイムという認識で挑む余裕もできていた。
 とはいえ、6月5日は文藝春秋と新潮社という二大週刊誌の3次面接&GDが同日にあり、決戦の日という心境で挑んだ。新潮社の3次面接は、待ち時間が1時間半ほどあり、その間、他の受験生と話していて楽しい時間をすごせた。新潮社というと文芸のイメージだが、この段階になると、ただ文学好きというだけではなく、プラスで好きなものについて語る力がある人が多い印象だ。
 文春GDのお題は「21世紀の年表を予想して作れ」。なぜかAIと人間に戦争が起き、首都圏が壊滅、最終的に和平するというかなり奇想天外な結論を発表した。文藝春秋と新潮社、どちらに受かるのか、はたまたどちらも落ちるのか。自分では予想もできなかったが、すべての力を出し切った満足感だけが残った。
 結論から先にいうと、6月5日に受けた会社のうちどちらかにご縁があり、入社することになった。一方の会社の不合格連絡を受け渋谷センター街で号泣したこと、内定先の最終面接の部屋を開けた時の役員がずらりと並んだ景色、手応えも特になくダメだったかと諦めた帰り道、合否にかかわらず連絡すると言われていたので鳴っても嬉しくなかった電話、「一緒に働きたい」と言われた時の驚き、嬉し泣き……あの時の感情全てが、今でも鮮明に蘇る。短いが、全力で駆け抜けた就職活動が終わった。

就活経験者として思ったこと

 読んでわかる通り、私の就活はかなり計画性がないため参考になるかはわからないが、一人の就活経験者として思ったことを書いておく。
【自己分析】人とたくさん話して自分のやりたいことを探した。また、人生で影響を受けた作品を年表にして書き出した。
【企業研究】国会図書館に勝るものはない。バックナンバーを読むことは本当に大事。コミック志望ならネットカフェもいいだろう。
【説明会】就活を始めた頃にはもう行きたいところの説明会が終わっていたので、あまり参加していない。本社で行われた説明会は下見のために役に立った。
【ES】ガクチカは一つのことを掘り下げて書けとよく言うが、私の場合は「こんなにいろんなことやりました」という複数を併記する内容の方がウケがよかった。また、1行目を太字にしたら読みやすいと面接でほめられた。
【筆記試験】作文はOB訪問の時に添削していただいて本当に良かった。劇的に面白くなる。また、ブログを書くと練習にもなるし予定稿が増えて助かる。
 時事問題は出版社に限れば新聞よりもSNS、紅白などをチェックした方が効率がいい。SPIなどはそこまで対策の必要性を感じない。
【面接】人と話すのが苦手で、友達も少ないため一番苦労した。キャリアセンターや就活塾などはもちろん、立ち飲み屋に1人で行って知らない人と飲む、婚活パーティに行くなど、とにかく初対面の社会人と話す練習をしまくった。ただし一番役に立ったのは実際に面接を受けまくって雰囲気に慣れることだと思う。

メンタル面でのお勧めは銭湯と神社

 また、メンタルの面で有益なアドバイスをしたい。就活中、特に面接が始まると、不安と緊張の毎日が続く。そんな時におすすめなのが、銭湯だ。お湯で温まってから水風呂に入るのを繰り返すと体の芯から温まり、癒やされて心も安定する。
 また、面接前日には神社に行くことをおすすめする。「神様、どうか明日面接の会社に入らせてください。ただ、もし入社しても幸せになれない会社なら落としてください」と願うと、落ちた時のダメージがいささか軽くなるだろう。
 最後に、よく「就活は運と縁だ」という言葉を聞く。私もそう思う。しかし、だからといって諦めていてはどこも絶対に受からない。その存在するかわからない運と縁を掴むために、もがき、人に会い、学び、自分の強みとは何なのかを知ることが大切なのだろう。


「冒険家になりたい!」そんな夢から出版社へ

Mさん/出版社内定:
「冒険家になりたい!」
 そんな子供のような夢から、私のマスコミ就活は始まった。

「歴史の最前線に立ちたい」その思いで記者をめざした

Y君/全国紙、キー局内定:
「歴史の最前線に立ちたい」
 東日本大震災、平和安全法制制定、北朝鮮によるミサイルの発射…。


アナウンサー就活から最終的にテレビの報道へ

Rさん/キー局、全国紙内定:
「文章を書くのがうまいね」
 小学校や中学校の教師からよくほめられた。

「なぜ記者になりたいか?」自分を見つめ直した就活

Tさん/全国紙・NHK・ブロック紙内定:
 幼稚園の頃、私は両親に「作家になりたい」と言っていた。高校時代は、



地方紙受験で始まった就活はキー局内定で幕

H君/キー局内定:
 私の就職活動の開始時期は1月と遅く、さらに、留学経験もなければ、大学でメディアについて学んでいたわけでもない。

「本を作る人になりたい」その思いから出版社へ

D君/出版社内定:
本が好きというだけでは志望動機にならない
 本を作る人になりたい、という思いは、


面白いことをしたいと広告を志望した

Y君/広告会社内定:
インターンのお題が独特で徹夜するほど熱中した
 お笑いが好き。旅行が好き。政治学が好き。目立ちたがり屋で