マスコミ・エンタメ志望で、最終的に出版社へ

Sさん/大手出版社内定


雑誌を作りたい!10年越しの夢へ

 雑誌を作ってみたい、という気持ちは小学生の頃から抱いていた。思えば10年越しの夢になる。今は自主出版で誰でもできる時代だが、それでも私は雑誌を作ることを、仕事にしたかった。しかし、出版社は内定者数が他の企業に比べると少ない。そのため広くマスコミ・エンタメ業界を志望することにした。出版社を志望したのと同じく、好きなことを仕事にしたいと思ったからだ。
 プレエントリーは80社を超えていた。とにかく興味を持った会社には全て応募した。
 大学3年生の5月ごろに一度、合同説明会を訪れた。その時には人の多さに驚き、疲弊した。「割に合わないので、もう合同説明会には行かない」と心に決めた。夏のインターンも、志望度の高かった出版社1社のみ受けたが、かえって志望度は下がってしまった。11月ごろにはバイト先やサークルの先輩から、マガジンハウスの社員さんを紹介していただいた。お二方ともとても素敵で、「一緒に働けたらいいなぁ」と思った。

面接慣れをしようと出版社対策が後回しに

 就職活動を本格的に始めたのは大学3年生の1月ごろだ。スカウトサイトなど、各種リクルートサービスに登録。インターン、『マスコミ就職読本』主催の講演会や、会社訪問などにも応募。出版、広告業界の研究になった。大学のキャリアセンター主催の模擬面接にも参加。履歴書の書き方の練習にもなった。ここでの面接が一番緊張したので、はじめに一度練習することは、とても大事だと実感した。
 大学のOBで出版社内定の先輩にアドバイスをいただき、作文のネタもストックしていた。同時に時事、一般常識、SPIなどの対策も一応、始めた。というのも、とても勉強したとは言えない程度だったからだ。机に向かって勉強することは苦手だったため、入浴中にSPIの問題集をパラパラめくるくらいだった。
 大学3年の2月ごろ、スカウトをいただいた会社の説明会に行くように。3月ごろにはIT系企業の面接を受けた。少しでも興味を持てたら、エンタメ系でなくとも、スカウトをいただいた会社の選考は受けるようにしていた。面接慣れにつながったと思うが、その分、本来やるべき出版社対策は後回しになっていた。
 この時期は現実逃避をするように、「面接のネタになるから」と好きな映画を見たり、本を読んだりもしていた。結果、ESや面接の引き出しが増えた。しかし、「もっと筆記対策をしていれば……」と後々思うことに。

 例年に比べると、集英社の選考はとても早かった。それまで情報収集をしていたつもりだったが、友だち伝手にはじめて知った。とにかく出版社から内定をもらって、業界に潜り込みたいと思っていたので、「ぼやっとしていると、エントリーを見逃してしまう!」と焦った。その日から鬼のように各社のマイページを登録した。
 なんとか締切までに集英社のESを提出。はじめてマイページで書類審査の結果を見るときは、とても緊張した。無事通過し、筆記試験を受けることになるも、3日くらい前から焦って手をつけるという無計画さ。結局筆記で敗退。友人の中には1次面接の話をしている人もいた。“お祈り”をされることの辛さを経験。そして、「他の筆記では絶対通過するぞ!」と切り替えた。
 2月にエントリーしたIT系企業の2次面接を、3月上旬に受けていた。しかし、出版社に行きたいという思いもあり、モチベーションは低かった。逆方向の電車に乗ってしまい遅刻、面接を延期してもらうことも。なんとか内定をもらい、安心材料にできた。しかし、あまり興味のない会社を受けると、体力と精神を消耗するだけ。希望する業界だけに絞るのも正解だと思った。

当たって砕けろの精神でチャンスを掴む

 興味がある会社に新卒採用がなかったとしても、ダメ元で中途採用にも応募していた。3月下旬、運良くCINRAの書類選考に通過し、面接を受けることができた。しかし当日「君、まだ大学生なの?」と驚かれ、「やっぱりうちで新卒は厳しいかな」と言われてしまった。2年生のときからライターやアシスタントとして、有給インターンを複数の会社でしていたので、経歴から社会人と勘違いされていたようだった。しかし、自分としては社会人1年目に引けを取らないくらい、サークル、インターン、アルバイトで経験を積んだつもりだったので、すごく悔しかった。
 今まで経験してきたことを話すと、「最近立ち上がったWebメディアに向いていると思うから、インターンしてみない?」と誘っていただけた。就活もあるので迷ったが、普段からチェックしていた好きなWebメディアだったので始めることにした。
 Webメディアのインターンは、とても楽しかった。「やっぱりコンテンツが作りたい」という気持ちを強くさせた。「ここで、来年からアルバイトでもいいから雇ってくれないだろうか……」という逃げの気持ちも生まれた。
 ここで仲良くなった社員の方の一人は、前職が選考中の電通アイソバーであることが判明した。頼み込んでOBの方を紹介していただいて話を聞き、社内を案内していただいたことで、他社との相違がよく分かり、入社への思いが強くなった。選考も順調に進み、最終面接まで進むことができた。
 電通アイソバーの最終面接前には、人事面談が2回ほどあった。最終面接では役員の方への自己PR、プレゼンが必須。人事の方から面接にむけて丁寧にアドバイスをいただけた。入社したいという気持ちから、プレゼンの準備は念入りにした。面接後に会社から駅へ向かう途中で内々定の電話をもらったときは本当に嬉しかった。そうして、大学4年の6月に1社、広告会社から内定をいただけた。
 同時期に、電通デジタルの選考も最終を迎えていた。しかし、就活状況のアンケートでは自分の気持ちに素直に、「第一志望は電通アイソバー」と書いてしまった。そしてお祈りメールをもらった。またリットーミュージックも最終まで受けたが、ここでも電通アイソバーへの気持ちが見え隠れしていたと思う。やはり、たとえ最終まで行ったとしても、最後の最後に「純粋に働きたい、という気持ちがなければ」と思った。

スケジュールの遅い出版業界ゆえの焦り

 話は少し戻るが、大学3年生の3月下旬〜4月上旬の間にエンタメ系企業のESラッシュが来た。ここでESを毎晩徹夜して書いたのは良い思い出だ。しかし一番忙しく、きつかった。これを読んでいる皆さんには本当に、早めの対策をお勧めする。
 面接と面接の間に喫茶店に駆け込み、ESを書くのはとても労力を使う。営業時間ギリギリに郵便局へ駆け込むも、顔写真を貼り忘れたことに気づく、ということもあった。そのときは写真を貼り直し、深夜まで営業している隣町の郵便局まで、再度駆け込んだ。
 4月に入る頃には、IT系や広告、ベンチャーを志望していた子の内定報告が周りで飛び交うようになった。自分は内定がゼロ、という状況は精神的にとても追い込まれた。特に出版業界は就職活動のスケジュールが他業種に比べてゆったりめだ。「焦る気持ちを感じるのはしょうがない」と思うようにしていた。
 実際、集英社の筆記で落とされてからも、筆記試験対策は万全ではなかったと思う。他業種の選考も、インターンもしていた。さらに、友人に誘われて、ベンチャーの新規プロジェクト参加も決めてしまった。
 世界文化社、学研、光文社、主婦と生活社、ぴあ、東映、東京テアトル、WOWOW、パルコ、ルミネは、ES落ち。新潮社、文藝春秋、小学館、イープラス、三笠書房は筆記落ち。講談社、TOKYO FM、主婦の友社、スターツ出版は1次面接落ち。たくさん受けた分、たくさんお祈りメールをもらった。
 「ESと筆記に相性はあまり関係ないから、通らないともったいない」という講談社内定の先輩の言葉を思い出した。1次面接で落ちるのは相性。しかし、せっかくESが通っても筆記で落ちてしまったら、もったいない。

成し遂げたいことへの愛情を持つ

 出版社でアルバイトをしていたため、出勤するたびに「やっぱり広告ではなく、出版社に行きたい」という気持ちを強くしていた。「しっかり勉強していないとはいえ、筆記で落ちるということは自分に出版業界は向いていないのだろうか」という思いもよぎったが、「雑誌をつくりたい、そのためには出版業界で働く」という思いから、唯一残っていた扶桑社、大和書房、マガジンハウスの筆記に向けて筆記対策に力をいれた。「面接まで持ち込んで、相性が良ければ絶対内定がもらえるはず!」という根拠のない自信を持っていたからだ。
 大和書房とマガジンハウスは無事筆記を通過した。特に、マガジンハウスの面接前には国会図書館に行って、他社の時よりも執拗にバックナンバーを貪り読んだ。紙だけでなく、各誌のSNSもこまめにチェックしていた。リニューアルした『GINZA』に関しては、リニューアル前後での違いを自分なりに分析していた。たまたま入ったカフェで隣の席の人が『GINZA』の話をしていたので、そういった他者の視点もメモして参考にしていた。
 友人と喫茶店でお茶をしていると、隣の席では漫画編集者と漫画家が打ち合わせをしていた。「私もとにかく出版社に内定をもらいたい」と思っていた矢先、ついに出版社から内々定の連絡をもらうことができた。内定をもらった出版社は全ての刊行物が好きだった。OB訪問、選考過程で「働きたい」という思いを強くしていたので、本当に嬉しかった。
 業界の全体図を把握し、企業理解を深めることで、おのずと会社ごとの色が見えてくる。 それを踏まえて、自分は本当に「働きたい」と思っているのか。この思いに迷いがあれば、それは面接官の方にも伝わってしまう。面接慣れは必要だ。しかし、内々定をもらえたのは本当に「働きたい」と強く思った会社だ。そして、仮に「働きたい」と思った会社でなくても、どこに内定をもらったとしても、たとえもらわなかったとしても「いつか自分のやりたいことは実現できる」という強い気持ちと愛が、大事だと思った。


試験を受けていて「ここで働きたい」という気持ちが…

Tさん/キー局、出版社内定:
文章を読んでほっとする。映像を見て涙する。人の無事を願ってニュースに聞き入る。そうやって自分の感情を揺さぶられて生きてきた。

やりたい事と適性は別…だから面白い

Sさん/全国紙、キー局内定:
小学生の時からずっと、小説の編集者になりたいと思っていた。書く才能はなかったが、なんとか本に関わる仕事に就きたいと思っていたし、「この人にこんな作品を書いてほしい」と考えることが多かったからだ。


「広告業界に行きたい!」と声を大にして言い続けた

Yさん/放送局内定:
中学生の頃、「マズい、もう一杯!」という青汁のCMに出会った。「人の本音や世の中の本質を見抜き創られたものは、多くの人の心を揺さぶるのだ」と強く感じ、

ただただ記者になりたかった

M君/全国紙、出版社内定:
中学1年生の時、「クライマーズ・ハイ」という映画に出会った。1985年の日航ジャンボ機墜落事故とそこにある事実を、地元新聞社の記者が追っていく作品である。


「記者になりたい」との夢を叶えるまで

Y君/放送局、出版社内定:
記者になりたい」。幼い頃から抱いていた夢だ。自分が生まれ育った町は、衆議院選挙の激戦区で、与野党問わず多くの大物政治家が駅前で応援演説を行っていた。

50連敗に涙した後、奇跡の第一志望内定へ

Kさん/ブロック紙、地方紙内定:
2勝50敗。私の就活の戦績だ。
文章を書く仕事がしたい。そう漠然と意識するようになったのは、小学生の頃だった。