ESを書く際に気を付けたことは
文章を読んでほっとする。映像を見て涙する。人の無事を願ってニュースに聞き入る。そうやって自分の感情を揺さぶられて生きてきた。メディアが伝える情報を通じて人の明日を創りたい。平々凡々だが、そんな風に思い、メディア企業を志望した。採用試験を受けたのは、放送局、新聞社、出版社、広告会社。就職活動中は「節操がない」と家族に何度も言われたし、自分でもそう思う。そして、各業界を浅く広く受けていたため、業界ごとの特性は他の人と比べて多くは語れない。そんな私の体験記だが、皆さんのお役に立てるなら幸いだ。
私が就職先にメディアを意識したのはとても遅かったうえ、いわゆる「マスコミ対策塾」も一度訪れたが、雰囲気が苦手で行かなくなってしまっていた。出だしからくじけた私が受験を決意したのは、就活に全く関係のない場所で出会った全国紙の記者の方の言葉がきっかけだった。「技量はいらないから、伝えたいという気持ちがあるなら挑戦してみたらいい」。この言葉は就活が終わる最後まで、心の支えとなった。このとき既に2月の中旬で、採用活動の解禁が間近に迫っていた。
この時からやっていた各社共通のことは、各社の制作物に目を通すことと、その制作物に自分なりの意見を持つことだった。また、趣味と実益を兼ねて美術館やイベントに参加した際も感想を手帳に書き込み、あとから見返せるようにした。気になったことはとにかくメモする。企画を考える際に、このメモが役に立ったこともあったので、もし、自分には引き出しが少ないと感じる人がいたら、改めて生活に目を向けることをお勧めしたい。普段何気なく行うことでも、見返してみると新たな発見がたくさんある。
ESを書く際に気を付けたのは、話に具体性を持たせて読みやすいESを書くことだ。特に志望動機について、私はマスコミ志望者の志望動機は、程度の差はあっても「自分は制作物を届けたい」に収束すると考えていた。だから、他人と似てしまう「届けたい」という結論に字数をさくよりも、結論に至るまでの出来事を詳細に書くことを意識した。これは、志望動機に限らずほかの設問でも同じだと思う。「好きなもの」「気になること」は、そのことの中身よりも、どうしてその気持ちになったのか、自分の心のどの部分にその出来事が刺さったのか、そして、刺さった自分はいったいどういう人間なのかを、日付や場所、人名を交えて書くようにした。
朝日新聞社の最終面接で敗退
最初に筆記試験があったのは、朝日新聞社の記者職で、2017年3月27日のことだった。当日、広い会場が満員になるほど集まった受験者に圧倒された。受験から3日後、筆記が通ったと連絡がきた。そこから自分でも驚くくらい、すんなりと面接は通った。1次面接では、「ジャーナリズムよりPRや営業のほうが向いているのでは?」と言われたが、考えを自分の言葉で一生懸命伝えた。
2次面接は幸運なことに自分の関心の強かった「デジタル報道の未来はどうなる?」が集団討論の題として出て、討論後も面接官と話が盛り上がった。「僕は朝日新聞のアプリは使いづらいと思うんだよね」という面接官のお言葉に乗っかり、「私もそう思います」と一緒に解決策を考えるなど、すごく楽しい面接だった。「あれ、これもしかしていけるかも?」そんな期待を抱いた私は、本当に甘かった。最終面接は打って変わって7人ほどの面接官を相手に自分一人だけという、これまでにない厳かな面接だった。面接室の、今までの人生で歩いたことのない位のふかふかの絨毯が私の緊張をてっぺんまで押し上げた。人見知りも緊張もあまりしない性格だが、この面接中は終始のどがギュッと絞まるような感覚があった。その時点の私にやれることはやった。だが、最終面接後に人事部からの電話は鳴らなかった。熱意の伝え方が足りなかったのだと思う。筆記試験からここまで2週間、これが私の初めての面接だった。
今となっては冷静に分析できても、当時は面接を通して朝日新聞社への思いが強くなっていたので、ショックから抜け出すのに時間がかかった。もしかしたら、メディア業界への就職は自分に向いていないのかもしれないと思い、食品やIT、人材系の会社も受け始めた。そして、それと同時に改めてメディア業界で働く人にお会いした。実際にお話を聞いたり『マス読』を読み返したりする中で、メディアで働きたいという気持ちに再び火がついた。
4月中旬だったこの時、急いでESを書き上げた。結局、ESを提出したのは、KADOKAWA、講談社、NHKの3社。それに加えて人材系の広告会社にも数社エントリーした。
5月初旬には、他業界だがIT系の会社に内定をいただいた。メディア業界ではないものの、一つ内定が出たことで自分に自信がついた。その会社も自分にとって素晴らしい会社だったので、この先は自分の本当にやりたいことだけやろうと、他業界の選考はこの時点ですべて辞退の連絡を入れた。私の就活も、ここから仕切り直しだった。
KADOKAWAで新規事業のプレゼン
提出したESはどれも通過した。面接が始まるのが一番早かったのがKADOKAWAで、1次面接は5月14日だった。聞かれた内容は「学生時代に頑張ってきたこと」のみで、自分が話した後に、面接官の方から2〜3突っ込まれるというものだった。2次面接で「自分の好きなもの」、3次面接では「KADOKAWAで立ち上げたい新規事業」のプレゼン発表が課された。どちらの面接もこの発表がメインで面接が進んだ。2次面接では、好きな小説を取り上げたが、中身の説明は短くまとめて「好きになった経緯」や「好きなものと自分にまつわるエピソード」を中心に語った。また、新規事業案のプレゼンでは、ビジネス系の職種で受けていたこともあり、事業内容だけでなくビジネスとして事業が成り立つかを考え、損益計算もできる範囲で行った。そうやって企画を机上だけにしない部分が評価してもらえたのではないかと思う。
個人的な実感だが、発表ではコンテンツの面白さも問われていたが、それ以上に、企画を継続的に考えられるかという思考の癖や興味の範囲を見ていたと思う。KADOKAWAの最終面接は6月の第3週だった。集められた学生は6人。待合室で通されたソファが立派で、緊張するねとお互いを励ましあった。面接は社長以下執行役員全員と6人の志望者で行われる集団形式だった上、一人当たりの持ち時間が5分ほどで、その中で自分がどんな人間であるかを伝えなくてはならなかった。
KADOKAWAを受験している間の5月21日には講談社の筆記試験があり、通過したものの、1次面接で落ちてしまった。しかし、最初とは違い、このころには面接の反省をしつつも、すぐに気持ちを切り替えることができるようになっていた。
NHK受験中に「ここで働きたい」という気持ちが
最後に採用選考が始まったのは、NHKだ。正直、私はテレビっ子と胸を張れるほどテレビを見ているわけではなく、放送局は受けるかも迷った。しかし、NHK職員で私が出会った方たちが面白かったことと、視聴しているうちに、番組作りに対する姿勢にひかれて採用試験を受けることに決めた。
ディレクター職で受けていた私の1次面接は6月3日。志望動機を一切聞かれず、自分のことを掘り下げてくれていると感じた。2次面接では2回面接があるのだが、特に印象に残っているのが2回目の面接だ。
報道系の番組に携わっているという面接官とは、つらい取材についての話になった。話の中で、その面接官の方は「長い間この仕事をやっていても、私は慣れたと思ったことはないし、ここで面接官をしているディレクターもみんなそう思っていると思う」とおっしゃっていた。私は報道志望ではなかったが、この言葉を聞いてどんな番組に配属されても、悩みながら頑張りたいと心の底から思えた。そして、この時にNHKで働きたいという気持ちがとても強くなった。
その後のいわゆる2・5次面接という選考ステップでは、男性保育士が女児を着替えさせることの是非を問うVTRを視聴し、集団討論と個人面接が行われた。雑談みたいに和やかな雰囲気だったが、NHKで働きたい気持ちを要所で念押しして伝えた。
そして、6月最終週がNHKの最終面接だった。駅から放送センターまで、リオ五輪のNHKのテーマソングや『カードキャプターさくら』の主題歌を流して気持ちを高めた。健康診断後、面接までの待ち時間が1時間半近くあり、近くの人とおしゃべりしながら待った。おかげで気持ちが落ち着いて、最終面接を行う部屋に続く(ここでもやはり)ふかふかな絨毯を歩くのも、前より緊張しなかった。面接は志望動機や関心のある出来事などの、ごく一般的な質問を聞かれて、あっという間に終了した。
最終的に出版社、放送局、人材広告系の会社からそれぞれ内定をいただき、私は放送局で働くことへと人生の舵を切った。理由は漠然とメディアにかかわりたいと思っていたが、採用試験を通して、この局で制作職に挑戦してみたいという気持ちが芽生えたことと、自分と会社のつながりや疑問に思っていることもすくい取ってくれた上で、採用の通知をいただけたことだ。また、面接中に、この人のもとで頑張りたいと思えた人が多かったというのも、決め手の一つになった。
内定を数社いただいたからと言って、私が優秀な人間なわけではない。就職先の内々定者懇親会では、人事担当者に「君は庶民的だったのが面白かった」と言われた。メディアで必要とされる人間像は決して一つではない。知識が豊富なわけでも、審美眼に優れているわけでもない、私のような人間も採用してくれる懐の広い場所だと思う。だから、自分に才能、知識、技量がなくて不安だという気持ちを持っている人が、これを読んでいるのなら、思い切ってこの業界に挑戦してみてほしい。やりたいことや強い意志が明確にあるのだとしたら、あなたが生きる場所はどこかにあると思う。自分の気持ちに従って納得のいく就職活動ができるように心から願っている。