「何を作るか」だけでなく「どう売るか」に関心
「就活の時期がまた変わる」
まことしやかに囁かれていた噂に、大学3年生の誰もが翻弄されていた6月、私も漠然とした焦りを感じ、インターンシップ情報解禁と共に申し込みをした。私がピンときたのは、新聞社の広告局だった。今思えば、初めからピンポイントに新聞社の広告局に絞って志望している就活生は珍しかったかもしれない。だが、自分としては「人々の価値観を形成する」仕事、すなわち新聞社や出版社に興味があったこと、そして広告の仕事に携わりたいと考えていたことから、自然の流れであった。また広告会社に対するイメージが湧いておらず、媒体社が身近に感じられたことも大きな要因だった。
就活を意識しはじめた11月から毎日、新聞を読むように心がけた。またニュース時事能力検定を取得し、大学受験時に使用していた政治経済の知識以降の、抜けていた3年間の動きを捉えることができたので、非常にためになった。さらに、マスコミに就職した先輩方を中心に、OB訪問を積極的に行った。
そして大学3年の8月、12月、2月と、三度新聞社のインターンシップに参加した。就活解禁が迫った2月には、広告会社と出版取次会社のインターンシップにも行った。何度も新聞社のインターンシップに参加したことで、ジャーナリズムについてはもちろん、広告会社と、新聞社の広告局の関係を学べたことが面白かった。
インターンシップの合間を縫って行った初めての面接は、2月のUSENだった。毎回プレゼンテーション形式だったため、話す時間を気にする癖がついたので、のちの広告会社で「20秒で」「30秒で」とその場で時間指定をされた時に大いに役立った。しかし、USENは最終面接で落ちたため、3月から気持ちを新たに入れ替え、一からのスタートとなり、行ける説明会は行くように努めた。特にこの年は3月解禁・6月面接開始と、時間のない就活だったので、すべきことはたくさんあった。自分の中で優先順位を決め、何に重きを置くかを常に考えることが大切であると今でも思う。
最終的に3月の就活解禁時には、記者や編集者の仕事にも興味があったが、当初と同じく、媒体社の広告部門を志望することにした。大学で国語国文学科に在籍し、勉強する中で、“何を作るか”と同じくらい“どう売るか”そして“どう収益を得るか”が重要であると学んだことが影響したためだ。こうして、魅力的な商品の価値をさらに高め、自らのアイディアを形にすることができ、クライアントにも自社にも利益をもたらすことのできる広告営業という仕事に興味を持った。そのため、他業界はあまり考えず、新聞社、出版社、広告会社を中心に受験した。
広告志望で新聞、出版受験という異例
手書きのESの締切に追われてしまい、インターン時の未熟な自己PRを使い回していたり、新聞社以外の知識が浅く、それぞれの会社の志望動機を整理できていないまま、いきなりESを書き込んだりしていた。そのため、伝えたいエピソードはあるものの、伝え方が非常に下手で、行き詰まってしまった。就活で迷子になった私は、4月に広告会社の模擬面接で「君のどこをみればいいのか分からない」とハッキリ言われたことで、帰り道に泣くほど悔しかったが、目が覚めた。なんとなく形にしていたESを一から見直し、なぜ新聞で、なぜ雑誌で広告がやりたいのか、一から整理した。
ストイックに就活以外に目を向けずに黙々とESを書くことをやめ、私をよく知る友達に会うことで、「もっとこの個性をアピールするならばこの話のほうが良い」とエピソードを選んでもらったり、OB訪問で積極的にESを見てもらった。
特にOB訪問では、ただ会社について聞くだけでなく、私のやりたいことがその会社で実現できる夢なのかどうかを測るため、一つの会社でも複数の方にESを見てもらうようにした。加えて、狭き門のマスコミ就活に心行くまで臨めるようにと、リスクヘッジのために採用数の多い業界や試験の遅いマスコミの会社にエントリーしておくことで、安心して目の前の会社に集中することができた。
5月は新聞社・出版社ともに筆記試験が多かったため、毎日の新聞購読に加え、時事問題集を何周もした。SPIは中学受験時の知識を頼りに、あまり時間を割かなかった。というのも、5月後半から続々と出版社の面接が始まったが、小学館の一次面接で「なぜ雑誌で広告をやりたいのか」という根幹が話せないという散々な結果だったため、自分の面接対策の詰めの甘さを実感したからだ。
この時に“志望動機、自己PRは終わりがあるものではなく何度も練り直すものだ”という言葉を痛感し、ESに書いてあることを元に、何度も面接で聞かれそうなことを掘り下げ、書き留めるようにした。さらに志望している各社の女性誌を読み漁って面接に挑んでいた。出版社では、就活中でも視野の広さが求められていた印象がある。
出版社に関していえば、私のような広告営業志望はとてもマイナーなため、「入りやすいから選んでいるの?」「広告企画を作るよりも、企業の広告をそのまま載せる方が経費も掛からなくて楽だよ」と言われてしまうことが多かった。自分の中で、やりたいことができるのは出版社ではないのかもしれないと、正直心が折れかけた。だからといって、目先の就活のために志望を変えるという考えはなく、ここまで来たら自分の気持ちに正直に採用してくれる会社があれば行こうと考えた。
そんな中、5月28日に、志望度の高い朝日新聞社の筆記と某総合出版社の一次面接がバッティングしてしまい、就活中で最も悩むことになる。ただ、どうしても消費者としてその出版社の商品が大好きで、働く上でも携わりたい雑誌があったため、泣く泣く朝日新聞は諦めた。そうして行った某出版社の一次面接で、「この会社は君のやりたいことができるよ」と言ってもらったことに胸打たれ、その会社の事業の広さと挑戦してゆく姿勢にとても感動した。最終的に内々定をいただいて入社を決めるのだが、それはもう少し先の話で、この時点ではまだ一次面接に通った実感もなかった。
話を戻し、6月に入ると、インターンシップ後も模擬面接をしてくださっていた毎日新聞社の面接があり、内々定をいただけた。毎日新聞は面接のたびに「人に好かれる人柄だね」と褒めてくださったり、とことん「なぜ新聞か」「なぜ広告局か」「なぜ毎日新聞か」「他社の受験状況との一貫性」など、私自身の考えをたくさん丁寧に聞いてくれたため、毎回とても楽しい面接だった。また、インターンシップのおかげで理解していた広告会社との違いについても聞かれ、「よく勉強しているね」とのお言葉にとても励まされた。
こうして志望企業から嬉しい内々定をいただけたため、その後は「せっかくならばどこまでやれるか色々な会社を見てみたい」と数社に絞って就活を続けた。6月は同日に2つから3つ、面接や試験が入ることが多かったので、電車の移動中にスマートフォンで自分のESを見直したり、その会社についてのニュースを探して読み、目の前の一社に集中するよう心掛けた。
日本経済新聞社は一次、二次と進み、日経の将来や他紙と比べた際の広告の違いについて、また日経ならではのビジネスマンに適した提案など、入社後のビジョンについて多く問われた。ただ全国紙との比較をした際の企業研究不足が祟り、面接官の多さにも気迫負けしてしまった。
読売新聞社は、二度もインターンに行き、新聞社の広告局を志望していた身として、あまりに意識しすぎて力んだ結果、一次面接で不合格だった。これは就活史上最もショックな出来事だったが、もっと自分に合っている会社があるのだと切り替えることにした。この時点で新聞社は全て受け終え、残るは大手広告会社と総合出版社。“落ちればすぐに就活終了”という恐怖もあったが、残ると思っていなかった会社も多かったため、むしろチャンスを活かそうと自分に言い聞かせた。
広告会社で必ず聞かれた「好きな広告は?」
広告会社では「好きな広告は何か」という質問を、どの会社でも必ず聞かれたため、常に毎日、様々な媒体での広告を確認するように意識していた。変わった質問では「自分がのび太くんだったら、いじめられないためにどうするか」というグループディスカッションもあった。
博報堂の二次選考では、未来を創るプレゼンテーション面接があり、前日まで頭を悩ませた。ただ、これまで新聞社や広告会社のインターンシップでプレゼンテーションを何度か練習していたため、解決すべき課題の設定やクライアントの想定において、具体性を心掛けたところ「わかりやすい」と褒めていただけた。だが、三次選考のグループワークでは、場の空気を掴みきることができず不合格。
一方、電通の三次選考は「梅雨を楽しむアイディア」を考えるグループディスカッションで、積極的に発言したことが功を奏し、通過した。迎えた6月18日、内定先になる出版社の三次面接と電通の四次選考日。出版社は毎回プレゼンテーション面接で、好きなことや、立ち上げたい事業について、真剣に社員の方が「この企画の新規性はどこか」「実行する場合この部分が弱い」とアドバイスをしてくれ、非常に貴重な体験だった。どれだけ言葉にして自分の考えを伝えることができるか、その熱量だけは常に切らさぬように心がけた。
電通は「なぜ広告会社を受けているのか」と毎回鋭い指摘が飛び、行くたびに収穫の多い面接だったが、四次選考では論文試験のあとの面接で、雰囲気に飲み込まれた私は、ただその場をうまく取り繕おうとしてしまった。墓穴を掘るとはこのことだ。
この反省を活かし、出版社の最終面接では、自然体を心掛けて役員の方々と話すことができた。こうして七転び八起きで進んだ就活は無事終了し、私は出版社への就職が決まった。新聞広告という選択肢もあったが、その出版社が新しいことをどんどん打ち出していく姿勢に感動したことが、入社の決め手だった。
終わってから振り返ると、やはり最終面接まで進んだ企業は自分のありのままを見せられた企業だと思う。就活をしてゆくと、周りの就活生の凄みに圧倒され、私のように自信をなくして迷子になったり、自分のどの面をアピールすべきか迷う人も多いだろう。だが突飛な経験が素晴らしいのではなく、些細なことであっても自分がどんな時にどういうことを考えて行動を起こす人間なのか、それを突き詰めて考えることこそ、ありのままの自分を見せることにつながる。何よりも重要なことだと思う。