1年間の韓国留学を終えた大学4年の1月に、就職活動を始めた。しかし、なかなか気持ちを切り替えられず、しばらくは久々に会う友人たちと遊んでばかりいた。
大学3年の夏には、将来はマスコミで働こうと決めていた。韓国人の友人がワーキングホリデーという名目で、悲惨な環境で働かされているのを目にしたのがきっかけだった。世の中に潜む理不尽なことを伝えることで、苦しい境遇の人を救いたいと思ったのだ。それなら新聞社が第一志望になりそうなものだが、出版社で働いているサークルの先輩たちの話が面白くて、編集者の仕事にも興味を持っていた。
いわゆる自己分析をやりながら、やはり志を果たすべく新聞記者になろうと決意したものの、出版社への憧れも捨てきれない。結局、目標を定められないまま、就活が本格化する3月を迎えた。
6月後半、ようやく軌道に乗り始める?
6月後半に、新潮社と大和書房の筆記試験を受けた。何度も落ちるうちに筆記試験に慣れたのか、手応えがあった。後の面接で言われたことだが、大和書房の筆記試験はかなり上位の成績だったらしい。それまでの対策の不足を反省して、過去一年分の『AERA』の表紙になった人物をチェックしたり、『日経エンタテイメント』に目を通したのがよかったのかもしれない。
両社とも、二次面接まではとんとん拍子で進んだ。しかし、三次面接で苦戦を強いられた。
大和書房は、二次面接まではESに沿った雑談が主だったのだが、三次面接では、何故働くのか、どのくらいお金を稼ぎたいかといった質問が出た。就活には一生懸命になっていたが、「働く」こと自体に思いを巡らせることがなかったため、うまく答えられなかった。更に、大和書房のイメージを聞かれ「自己啓発本とかの会社だと思っていたんですけど、そうじゃない本も出していて……」とネガティブな言い回しをしてしまい、面接官の顔が曇るのが分かった。
新潮社では、最初の「他社の選考状況を教えてください。」という質問から躓いた。面接まで進んでいる会社があまりにも少なく、面接官を絶句させてしまったのだ。待合室で会った受験者の多くは、文藝春秋や講談社などで3次面接や最終面接を経験していたのだから無理もない。
更に、新潮社では週刊誌記者を志望していたので、最近のノンフィクションや『週刊新潮』『新潮45』は読み込み、何を聞かれても大丈夫なつもりでいたが、「最近なんの小説を読んだ?」と聞かれて黙り込んでしまった。「文芸編集者になったらどうするの?」「君は新聞記者のほうが向いてるよ」と繰り返し言われ、面接が終った。
大和書房も新潮社もここで敗退し、7月末の時点で内定はゼロだった。
次こそ落ちると思っている内に最終へ
8月に入ると、新聞社の筆記試験が始まった。出版社の選考に必死になっていたら、新聞のための筆記試験の対策がほとんどできなかった。「これでは出版社のときの二の舞を踏んでしまう。」と危ぶんだが、全国紙はすべて通った。なおかつ、一次面接もすべて通過。出版社の面接を受けるうちに、面接のコツを掴めたからだろう。しかも、新聞社の面接は出版社よりも素直な質問が多く、答えやすい。
調子に乗って、読売新聞の一次面接で「一番好きな新聞は毎日新聞です」と馬鹿正直に答えるほどで、新聞社はどこかに絶対決まるだろうという妙な自信が生まれていた。
NHKには、正直なところダメ元で応募していた。そもそも私はテレビをあまり観ないので、そんな人間がNHKに受かるはずがないと思っていたのだ。一種の記念受験である。しかも、大の苦手であるテストセンター受験まである。どうせ受からないと思うとやる気が出ず、テストセンターでは寝てしまった。
一次面接の前には気になる番組をオンデマンドでチェックしたが、ESを読み返しもしなかった。面接を受けてみると、「君はフットワークが軽いみたいだけど、どうして東北に行ったことがないの?」など、想定外の質問が飛んで来る。しかし、ダメ元という姿勢が幸いして、そのときどきの考えを素直に話し、面接官との会話を楽しむことができた。
手応えはあったが、「君は活字の方の人だね」とか、「マスコミで活躍しそうだけど、NHKじゃないかも」と言われたことがひっかかっていた。しかも、一次面接の結果はテストセンター・筆記試験との総合判断である。仮に一次面接の評価が良くても、うとうとしながら受けたテストセンターが足を引っ張って落ちてしまうだろうと思っていた。ところが意外にも次の選考の連絡が来た。
面接対策をし過ぎて、考えが凝り固まってもかえって良くないと思ったので、2次面接以降も準備と言えば、オンデマンドで番組を視聴する以外の準備はしなかった。ただ、こうして番組を見ているうちに、NHKのドキュメンタリー番組はやっぱり面白いなぁと思い、NHKに入りたいという気持ちが芽生え始めていた。とはいえ、「どこかであのテストセンターの結果が問題になって落ちるに違いない。」という思いがぬぐえず、やはりダメ元なのであった。
こんな調子で、次こそ落ちる、次こそ落ちると思っているうちに最終面接に進んでいた。それまではダメ元だったから、緊張せずに受け答えができていたのだが、最終面接ではさすがに欲が出て、ガチガチになってしまった。余程緊張していたのか、何を聞かれたのか全く思い出せない。今度こそ、落ちたと思った。
だから、9月1日に内定の連絡を受けたときには、何が起こったのか分からず、思わず泣いてしまった。
毎日新聞最終面接、受けるかどうか悩む
NHKの内定通知を受けたその日に、毎日新聞の3次面接を受けた。毎日新聞は、新聞社の中で一番志望度が高く、NHKの内定をもらったから辞退しようとはとても思えなかったのだ。NHKからも内定を貰ったことを人事の方に話すと「どちらからも内定が出たら、じっくり悩んでね」と言われた。
3次面接を通過し、9月9日に最終面談という通知が来た。面談で落ちる人もいるというが、もしもどちらも内定したら……。と悩み始め、毎日で働く友達と、NHKで働く知り合いに相談した。
結局、前日になって毎日の面談は辞退した。良い番組・良い新聞を作る会社の間で、心は揺れ続けていたが、今まで関わったことのない映像の世界に飛び込んでみるのも面白いだろうと思い、NHKに入ろうと決めた。
毎日新聞は、毎朝売店で買って読んでいたし、新潮社の受験対策にかなりの時間を費やした。しかし私は、「前日にオンデマンドで番組を見る」以外の対策をなんらしなかったNHKの内定者になっている。
思わぬところで縁はつながる
就活を始める前、先のOBが「Kさんは力はあるから、マスコミのどこかには入れるよ。ただ、入る先は選べない。僕も、もう一度就活をして今の会社に入れるかは分からない」と言っていた。至言だと思う。
あるレベルを超えたら、あとは運と縁だ。もちろん、いくつも内定を貰う人はいる。でも、そんな人は例外的だし、結局いける会社はひとつだ。毎日新聞を読み続けたことも、週刊新潮の実名報道について考えたことも、めぐりめぐってNHKの内定に繋がったのではないだろうか。頑張り方を間違えなければ、思わぬところで縁がつながるのがマスコミ就活なのかもしれない。