「人のための課題解決がしたい」
ただの綺麗ごとかもしれない。でも、これが広告業界を目指した私の心からの本音だった。私は小学生のころ、人と話すことが苦手で内気な自分にコンプレックスを抱いていた。そんな自分を変えるため学生時代に部活動で幹部として部活全体を仕切る役に立候補したり、大学ではミスキャンパスに出場するなど、自ら機会を創り、自分を変えてきた。
その過程で最も嬉しかったことは、内気な自分を克服できたことではなく、私を見て頑「張ろうと思えた」「勇気をもらった」と多くの友人が言ってくれたことだった。4年間続けた大学受験の予備校でのアルバイトでも、生徒のためなら私は限界なく頑張ることができた。
気が付けば私は人のために奔走し、人を励まし、人と伴走する瞬間が大好きだった。広告はいつだってクライアントや生活者など「誰か」のために創られるものであり、解決手段も無限大、時代や人によって変化していくもので、答えもゴールも何もない。しかし、答えやゴールがないからこそ限界まで課題を解決するために考え抜くことが出来る。私にとって広告ほど人のために熱を注げる仕事はない。そんな理由から広告業界を本格的に志望した。
初めての面接での苦い経験
私が就職活動を頑張ることができたのは、初めての面接での苦い経験が大きく関係している。それは10月に行われた松竹のインターンの面接。一次選考のエントリーシートに通り、東京本社へ面接に臨んだ。初めての就職活動、初めての集団面接。私は発言するたびに手足が震えるのを感じると同時に、自分の発言の浅はかさに情けなくなった。しかしそれ以上に、私以外の学生たちが全員堂々と話し、面接の重たい空気さえも自分のものにしている姿を見てショックを受けた。 面接が終わりビルを出た瞬間、私の目には涙が溢れた。「これでは東京に恥をかきにきただけではないか」「私はこの人たちに勝っていかなければならないんだ」――考えるたびに涙と悔しさが止まらなかった。しかし「絶対に負けたくない。絶対に変わってやる」この想いが私を突き動かし、私の就職活動はスタートした。 それから2月頃までは、とにかく面接の場数を踏むことを徹底した。まず最初に、選考が早いテレビ局を受験した。日本テレビや読売テレビなど早期にマスコミの面接を経験することで、マスコミの面接特有の「短時間で自分を伝えきらなければいけない」ということを学んだり、面接の雰囲気にも慣れることができた。 他にも選考が早いベンチャー企業の面接に挑戦するほか、社会人の方と話すことに慣れるため何十人もの方にOB訪問をした。実質的な就職活動はまだスタートしていなかったが、私は3月、4月とベンチャー企業2社から内定をいただき、自分の就活に自信を持った。そしてそれ以降も様々な業界の選考をうけたり、自己分析の深掘り、他業界のインターンシップを経験するうちに、前述のとおり広告業界で働きたいことを実感した。 3月になり就職活動が解禁され、続々と広告会社の選考も始まった。私の初めての広告会社の面接は読売広告社だった。エントリーシートは通過し、いざ一次面接へ。面接の場数も踏んだおかげで、あまり緊張せず話すことができ、自己分析を人一倍深掘りしたおかげで自分の本質を突かれるような質問にも冷静に答えることができた。半年前の松竹の面接での私とは大きく変化していた。数日後に通過の連絡が来て、二次の筆記試験の案内がきた。 ところが結果は惨敗。極端に数学が苦手な私にとって試験はかなり厳しいものであり、通過の連絡が来ることはなかった。せっかく面接が通ったのにこの先筆記試験で落とされるようでは意味がない。大嫌いな数学を克服しなければ自分は広告業界で働くことができない。私が筆記試験の対策を始めたのは、あまりにも遅すぎる4月だった。
8月面接解禁後、最初の面接は電通
8月の面接解禁に向けあと2カ月になった6月。エントリーシートに必ず通過するために、自己PRや志望動機を練るだけでなく「自己分析と志望動機を一貫させること」を徹底した。志望動機はすべて自分の考えや価値観に基づいている。ひたすら「なぜ」を繰り返し、考えてはペンを何時間も走らせた。志望動機が自分の経験や価値観と繋がるほどに私の志望動機は説得力を増し、志望動機の中にも「自分らしさ」が生まれた。 そして私はエントリーシートを作り、そのまま提出するだけでなく、広告業界へ就職する先輩に何度も添削してもらい、「もうアドバイスすることはない」と言ってもらえるまで何度も書き直した。その結果、7月には広告業界、他社業界のエントリーシートが全て通過した。その頃には毎日必死に勉強した数学の努力が実り、テストセンターも全て通過した。 いよいよ8月の面接解禁。解禁後初の面接はいきなりの電通だった。不安はあったが緊張はなかった。「やっとこの時がきた!」と内心ワクワクしていたからだ。私はいつもの何倍もの声をはりあげ、どんな時も笑顔で話し、質問に対しても全力でぶつかった。 実感としては好感触、結果は通過。それから博報堂、ADKなどの広告代理店の面接が次々と始まったが、すべて一次面接は通過した。ADKの面接では面接官の方から「久々にあなたのような芯のある学生と話をすることが出来て本当に楽しかった。次も頑張ってください」と面接後に激励をいただいた。広告業界の通過連絡ラッシュで、今までの自分の努力が間違っていなかったことを痛感し、涙が出るくらいうれしかったことを今でも覚えている。 そんななか、私の来春からの入社先であるJR西日本コミュニケーションズの選考も始まっていた。この会社はJRが親会社なので交通広告だけかと思いきや、地域活性や観光、大阪駅の商業施設の広告活動も手掛けており幅広く活躍している会社だ。 選考は2回程社員の方と面談をした後、役員の方々との面接が2回あった。面接の雰囲気は本当に和やかで関西独特の暖かみがある空気感だった。私はそんな空間でもいつもの自分らしく広告への熱い気持ちを全力で伝えた。私ならこの会社を盛り上げていくことが出来る、など今では恥ずかしいくらいの自信と意欲を持って話した。そのとき一人の役員の方が目を輝かせながら私の話に聞き入ってくださったことが印象的だった。 結果は内定。博報堂やADKの選考が進んでいたが、この会社で人と地域を活性化させるために課題を解決していく未来に心が震えるほどのワクワクを感じたため、内定をいただいたその日に入社を決意した。私の就職活動は8月の真夏真っただ中、嬉し涙と共に幕を閉じた。
マスコミ、特に広告をめざす人へ
私が皆さんに伝えたいことは二点ある。一点目は「自分らしさ」を忘れないでほしいということ。面接官の印象に残るのも、きっと奇抜さやずばぬけた実績ではなく「自分らしさ」が伝わった面接だと私は考える。
しかしその「あなたらしさ」は、あなたが悩みに悩んで壁にぶつかり、考えを研ぎ澄まし乗り越えた先に、人に伝わることが出来るようになっているもの。就職活動という機会をただ単に職探しと捉えるのではなく、今までの自分を振り返ったり、自分はこれからどうなっていきたいのかと真剣に自分と向き合う機会として最大限に活かしてほしい。そうすれば、あなたの発言すべてに「自分らしさ」が生まれ、自然と面接官の心に残る。
そして、誰かの期待や周りの目を気にして自分を見失うのではなく、自分の決断に覚悟と勇気を持ってほしい。自分らしい決断を出来たあなたは、きっとこの先も頑張っていけるはずだ。
二点目は「想い」を強く持ってほしいということ。マスコミ業界は狭き門である。でも想いを強く持ち、自ら足を動かし必死に食らいついた人には必ず道は開けることを私は実感した。
マスコミ業界は華やかな見た目とは裏腹に、とてつもなくハードな業界だ。せっかくの人生なんだから、もっと楽に生きる道はある。でもそんな選択肢があるなかで、なぜ自分はマスコミにいきたいのか。なぜ広告にいきたいのか。そうやって突きつめて考えていくうちに、きっと強い「想い」がある。その想いは絶対に就職活動で自分を支えてくれる糧になるだろう。
私は第一志望の会社が特になかった。しかし、自分が広告業界で働くイメージや広告業界で成し遂げたいことは強く持っていたし、何よりも広告のことを考えている時間が本当に楽しかった。きっとマスコミ業界を目指す多くの人はその媒体自体に惚れ込んでいる人が多いのではないかと思う。「好き」という感情はどんな苦しさも辛さも乗り越えられるほど、強い想いを含んでいると思う。就職活動で辛くなったとき、すべてを投げ出したくなってしまったとき、もう一度その「好き」だと感じた経験や想いを振り返ってみてほしい。そして、その感情を自分らしく、あなたらしく面接官の心に届けてほしい。そうすればきっとあなたの想いは届くはずだ。
根拠のない自信でもいい。自分がマスコミ業界へいかなければ誰がいくんだ。そう思って人一倍の努力を積み重ねてほしい。熱い想いは行動となり、行動は夢を叶える。私はいつだってあなたの夢が叶うことを全力で応援している。