悩みを抱える人に寄り添う仕事を

Wさん/NHK内定内定


人生を左右した沖縄で見た情景

 忘れられない光景がある。大学3年の夏、沖縄で目の当たりにした一面のシャッター街だ。那覇の喧噪が嘘のようだった。店らしきものは並んでいるのに誰もいない。本来ショッピングモールだった施設にはただ煌煌と蛍光灯が光っているだけ。何もない。街を歩く私の後ろを、腹を空かせた子猫がずっとみゃあみゃあ言いながら追いかけてきた姿が頭にこびりついている。

 この情景は千葉・東京しか知らずに20年を過ごした私にとっては、ただただ衝撃だった。今思えば、この、人によってはなんの変哲もない情景が私の人生を大きく左右させることになった。

 もうひとつ大きな存在がある。障害を抱える叔父と、その叔父と共に暮らす祖父母だ。能力はあるのに障害の為に職に就けない叔父と、そんな叔父のやり場のない怒りに悩む祖父母。「障害がある」。たったそれだけで世間の冷たい目に晒されることを肌で感じた。

 沖縄の過疎も、障害者というレッテルも、日本全体に目を向ければ珍しいことではないかもしれない。それでも、叔父達のようにその状況の中で悩む人は確かに存在する。だからこそ、そこに目を向けたいと強く思った。世界をまたにかけた大きなビジネスも楽しいだろう。イノベーティブな商品を開発するのも面白いかもしれない。でも、私は「今」「身近な」悩みを抱える人に寄り添いたい。泣いている人の涙を拭く人間になりたい。この想いが、私のいわゆる「就活の軸」となった。

「イベント」「社会問題」就活の軸は2本に

 振り返ると後悔も沢山ある。第一に圧倒的に頑固な就職活動をしていたと思う。興味が持てない業界は説明会にすら行かなかったことは今でも少し残念に思っている。知らないままでは自分に向いているのかどうかの判断すらできない。やりたい事が定まらないうちはとにかくいろんな業界の話を聞いた方が後々の後悔もきっと少ない。

 第二に、OB・OG訪問をほとんどしなかった点だ。就職活動はめったにない広い世界を垣間見るチャンスだ。私自身、社会人の方と真剣に1時間程度話しただけで、何度も自分の狭い世界を大きく飛び越えたように感じたことがあった。この本を手に取っている方はマスコミ就活を念頭においている方が多いと思うが、業種・職種関係なく、出来るだけ沢山の社会人と話してみてほしい。きっとその出会いは、就職活動という文脈においてだけでなく、人生において世界を大きく広げてくれる。

 就職活動は本当につらいことばかりだ。何度も自分を否定される気持ちになるし、受験と違って自分が向いている方向が正しいのかどうかすらわからない。それでも、自分の過去と現在、そして未来をつないで行くような気持ちで見据えることが大切だと感じた。

「軸」──就職活動においてはよく使われる言葉だが、真理だと思う。ブレない、確固とした自分の軸──自分の将来像を描ければ、多少拙い言葉であろうとも面接官を動かす力になる。自分自身を見つめ直し、沢山の人と話してほしい。そうすれば必ず納得する進路に巡り会えると信じている。

朝日新聞敗退に落ち込む

 そうこうしているうちに2、3月はあっという間にすぎ、4月最初の土曜日、ついにNHKの面接が始まった。1次面接はとにかく楽しかった記憶がある。面接官が親切で、エントリーシートを丁寧に読み込んでくれている印象を受けた。こちらへの質問だけでなく、放送管理という職種について、若手職員だった頃の実体験にもとづいて丁寧に教えて頂いた。

 翌日はNHKと読売新聞の筆記だった。一般企業も併願していたがうまく行かずに焦っていた私は、ぜひ両方ともどうにか受験しようと考えていたが、時間が間に合わず読売新聞はここで辞退することとなった。フジやテレビ東京は受けていなかったため4月1週目が終わった時点で面接に残っているマスコミ企業は、朝日新聞とNHKだけになっていた。朝日新聞のビジネス職とNHKの放送管理職、併せて採用数は50名前後。その50名にどうにか入り込もうと決めたが、一般企業の不採用通知の連続の中で、かなりの焦りとプレッシャーがのしかかってきていた。

 最悪だったのは、その翌週だ。NHKと並んで強く志望していた朝日新聞社にあっさりと落ちる。原因は、面接のシミュレーションをしすぎてしまい、本番でとっさの質問に全く答えられなかったためだ。今までは落ちても第一志望ではないから、と気を紛らわせていたために、ここでの敗退はかなり精神的に辛かった。一晩泣き腫らしていた記憶がある。陰で支えてくれていた親にあたったり、友人に泣きながら連絡したり、とにかく落ち込むところまで落ち込んだ1日だった。

そこでの失敗が尾を引いてしまい、翌日、翌々日の一般企業の最終面接も悉く敗退。9日にNHKから1次通過の連絡が来てつかの間ほっとしたものの、その時点で残っている企業はNHKと、とある一般企業の2社のみ。志望度の高い企業の面接準備のため、10社近く辞退していたことを、この時になって痛烈に後悔した。

 11日にはNHKの2次面接が行われた。1次からかなり人数が減ったとはいえ、だいぶ志望者は残っている印象を受ける。2次面接は30分×2回の長丁場。「このイベントをNHKでやる意味は?」「今後のNHKはどうなる?」など、事前に深く考えていなければ答えられなかったであろう質問が、いくつも飛んできた。面接官の表情はやさしいが、質問は全て鋭い。

 意識したことは、用意した言葉をそのまま言うのではなく、あくまで相手との会話を楽しむ事。朝日の面接での失敗を全力で活かそうと思った。手応えはあまりなかったが、なんとか通過。週明け月曜日の2・5次に進めることとなった。とはいえ残りは2社。常に明日電話が来なければ一から就職活動やり直しという崖っぷちにいた。精神が休まる暇がなかった。

第一志望からの内定で就活を終えた

 翌々日、2・5次の結果待ちをしている間に、面接が進んでいた他社から内定の連絡を頂き、どうにか就職活動も一段落がついた。すぐにずっと心配してくれていた親や友人に連絡。みんな声をあげてよろこんでくれた。その会社は、常に人柄を見る面接をしてくれていた事が、自信につながった。大きく見せたり、知っているフリをしたりする必要はない。等身大の自分でNHKの最終面接に臨もう。最終面接では、簡潔に、自分の言葉を貫いた。分からない事は分からないと言い、どんなに難しい質問をされても、答えられる範囲内で答えるよう努めた。

 21日。NHK内々定。長いようで短い就職活動が終了した。第一志望から内定を頂いたことは決してまぐれや運ではないと今振り返って強く思う。自分の経験や忘れられない出来事を遡った上で将来の自分像を明確にしたこと。それが出来る企業を第一志望として選んだこと。NHK受験者の誰よりも展覧会やイベントに行ったと胸をはって言えること。そしてNHKでしか叶えられない自分の夢を面接官に自分の言葉で語れたこと。その全てが積み重なって内々定を頂く結果に繋がったのだと考える。

振り返ると後悔も沢山ある

 翌々日、2・5次の結果待ちをしている間に、面接が進んでいた他社から内定の連絡を頂き、どうにか就職活動も一段落がついた。すぐにずっと心配してくれていた親や友人に連絡。みんな声をあげてよろこんでくれた。その会社は、常に人柄を見る面接をしてくれていた事が、自信につながった。大きく見せたり、知っているフリをしたりする必要はない。等身大の自分でNHKの最終面接に臨もう。最終面接では、簡潔に、自分の言葉を貫いた。分からない事は分からないと言い、どんなに難しい質問をされても、答えられる範囲内で答えるよう努めた。

 21日。NHK内々定。長いようで短い就職活動が終了した。第一志望から内定を頂いたことは決してまぐれや運ではないと今振り返って強く思う。自分の経験や忘れられない出来事を遡った上で将来の自分像を明確にしたこと。それが出来る企業を第一志望として選んだこと。NHK受験者の誰よりも展覧会やイベントに行ったと胸をはって言えること。そしてNHKでしか叶えられない自分の夢を面接官に自分の言葉で語れたこと。その全てが積み重なって内々定を頂く結果に繋がったのだと考える。


出発点はスポーツ記者になりたいという思い

Fさん/全国紙、通信社内定:
1年間の韓国留学を終えた大学4年の1月に、就職活動を始めた。しかし、なかなか気持ちを切り替えられず、しばらくは久々に会う友人たちと遊んでばかりいた。

新聞か出版か放送か思い悩んだ末に…

Kさん/放送局内定:
1年間の韓国留学を終えた大学4年の1月に、就職活動を始めた。しかし、なかなか気持ちを切り替えられず、しばらくは久々に会う友人たちと遊んでばかりいた。


多浪・既卒就活の末、出版社の編集者に

S君/出版社内定:
浪人時代も長く、いわゆる「マーチ」に届かない私大出身の私は、全国から秀才が集い、かつ高倍率であるメディアの仕事に就くことが果たして可能なのか、という不安があった。

一貫して広告志望だった私の就職活動

Yさん/広告会社内定:
「人のための課題解決がしたい」ただの綺麗ごとかもしれない。でも、これが広告業界を目指した私の心からの本音だった。私は小学生のころ、人と話すことが苦手で内気な自分にコンプレックスを抱いていた。