わくわくをいつも感じていたい
世の中には一体どれだけの本があるのでしょうか。本屋さんや図書館でずらっと並べられた本を見るといつも何故だか無性にわくわくするのです。小さな本の中に世界が広がっているような気がするからです。出版社を志望した理由は、そんなわくわくをいつも感じていたいと思ったこと。そして、世の中に広がる様々な問題に対して、アカデミックの場だけでなく、より身近な場で取り組んでいく仕事がしたいと思ったからです。
周りの意見を気にし過ぎないこと
大学生の頃の私は出版社への漠然とした憧れを持っていたものの、就職を真剣に考えることはなかったと思います。というより、「出版社は難しい」という周りの友人の意見に尻込みして、本気で向き合うことを避けていたのかもしれません。もっと研究がしたくて大学院に入ろうと決めた時も、「文系で大学院なんか入ったら就職できないよ」と友人には釘を刺されました。確かに不安になったこともあったけれど、大学院で様々な人に出会う中で、 ?どんな道を歩んでいてもそこできちんとした考えを持って取り組んでいれば必ず評価してくれる人がいる? ということが分かり、自信をもつことができました。世の中、こうじゃなきゃいけない、ということはなく、要は自分のやりたいことに真剣に取り組んできたかどうかが大事だと思えるようになりました。そうして、できることを一つ一つやって憧れを現実に近づけていこうと決心、私の就職活動がスタートしました。
出版社で働く人など、当時の私にとっては遠い存在でした。そこで私は、大学の先輩や知人の紹介を頼りに出版社で働く人たちに会って、素朴な疑問をどんどんぶつけていくことにしました。実際に会ってみると、確かに尊敬できる人たちばかりだったけど、自分との共通点も見つけることができ、自分もがんばればその人達に近づくことができるんじゃないか、そう思えたことがOB訪問の最大の収穫でした。OB訪問で出会った先輩にはESや作文の添削をお願いしたり、面接のアドバイスを頂いたりして、その後も連絡を取らせていただいています。本当に心強い存在でした。
年明けから本格的な試験対策
学部時代に友達に連れられて学内で開催される説明会などに参加していたので、受験する企業はだいたい絞れていました。10月頃になると、民放テレビ局からぼちぼち試験が始まってきます。マスコミ志望の人は練習のためにとりあえずそういう試験を受けたりするものですが、私は志望してもいない企業の志望理由を考えるのも面倒くさかったし、時間ももったいなかったのでテレビ局は一切受けませんでした。大学院の友人同士で続けている読書会に毎回参加したり、できるだけ学業を優先させました。私の場合、就職活動中も大学院の勉強を続けてきたことが、重荷どころか励みにも息抜きにもなり、自信に繋がりました。
本格的に就職試験対策を始めたのは年が明けてからでした。マスコミ・出版社受験の定番といわれる参考書を数冊揃えて、毎日30分〜1時間は対策のための時間を確保しました。出版社の試験で中心になるのは一般常識と作文だと思います。一般常識は、SPI関係の対策のほかは漢字を含めてほとんど対策していません。というのも、出題範囲が広すぎて対策に時間がかかりすぎるし、きりがないからです。それよりは、作文と時事問題に焦点を当てて準備しました。時事問題は、朝日新聞が出しているテキストを使って整理して、それに関連する一般常識を補いながら頭に入れていきました。作文は、新聞社志望の友人数人と週に1回は勉強会を開き、テーマを決めて作文を書きました。「わかりづらい」「何が言いたいのか分からない」一生懸命書いた作文をそんな風にけなされてがっかりしたこともあったけれど、本気で意見を交換し合い試行錯誤を重ねた経験は私の糧になりました。
2月に入るといよいよESのラッシュです。噂には聞いていたものの、出版社や新聞社のESは分量が多く、一朝一夕に書けるものではありません。実際に書いてみると何を書いたらいいのか分からず、戸惑いの連続でした。学部時代の友人や、OB訪問をした先輩に見てもらい、推敲を重ねました。作文でもESでも、一貫して私の課題になったことは ?いかに分かりやすく具体的なエピソードに基づいて自分を売り込めるか? ということ。これは面接でも同じです。普段、大学院で抽象的な議論をする事が多い私にとって、この「具体的に」ということは予想以上に難しいことでした。エントリーした7社のうち、ESで落ちたのは2社。そのどちらも時間が足りずに友人や先輩のアドバイスなしで書いたものです。第三者の客観的な視点がどれだけ重要か身に染みました。もし、誰にも相談せずに他のESも出していたら……。想像するだけで恐ろしいです。
最初の面接・文春で極度の緊張
最初の面接は文藝春秋でした。この時の私の緊張ぶりときたら……今考えると自分でも面白いほどです。心臓の音が耳で聞こえる気がしました。それでも、面接官のみなさんが気さくで親切な方々だったおかげで面接に対する過度な恐怖心を払拭することができました。志望動機を聞かれた他は普通の会話のように面接が進み、話がしやすかったのかも知れません。ここで面接がうまくいったおかげで、その後の面接も自然体で対応できました。
朝日新聞でも、講談社でも、ほとんどの面接官が受験者の話に真剣に耳を傾けて下さり、自分のことを知ろうとしてくれる姿勢を感じました。だからこそ、こちらもどうしたら自分のことを分かってもらえるかなと考えながら努力することができました。それと、私は面接ではいつも笑顔でいるようにしました。笑っていると自分の気持にも不思議と余裕が持てるようになります。
面接では、志望する出版社の書籍や雑誌を熟読していくなどの準備は勿論必要ですが、その他は、変に取り繕ったりせず、自分の気持ちを率直にかつ一生懸命に相手に伝えようとするのが一番だと思います。覚えてきたようなセリフを完璧に諳んじても、人の心は動かせないのではないでしょうか。そのためには、自分を成長させる努力を日々続けながらも、同時に根本的なところでは自分を信じていられる人でいることが重要だと思います。
なんとかこぎつけた大手出版社Aの最終面接。私にとってはまったく予想外の展開でした。私のどこがよかったんだろう、疑問に思いながらも、せっかく巡ってきたチャンスを無駄にする手はないと気合を入れて臨みました。けれど、試験の朝、私が乗った電車は無情にも信号機の故障で停止。刻々と過ぎていく時間。「もうだめだ、終わりだ」そう思いつつも、なんとか全速力で会場に駆け込みました。既に控え室では他の受験者が涼しい顔をして順番を待っていました。見るとなんだか優秀そうな人ばかり。一方、汗だくの私は心底自分が嫌になりました。電車の遅れくらいは考慮に入れ、充分に余裕を持って会場に向かうべきだったなと後悔しました。
さらに追い打ちをかけたことは、私が面接のトップバッターだったことです。心の準備もできないまま面接室に案内され、扉を開けると中には十数人の役員の方々がずらっと並んでいました。一瞬目眩がしたような気がしましたが、こうなればもう怖いものはない。もう充分恥はかきましたから。大きな声で挨拶をして席に着いた瞬間、腹は決まっていました。
予期せぬ合格通知で就職活動に幕
私の就職活動は予期せぬ合格通知とともに幕を閉じました。
最終面接を終えると、私の気持ちはもう次の面接へと向かっていました。前回の反省点をノートに書き出して整理しました。同じ失敗は繰り返さない。そんな気持が私をつき動かしていました。A社の合格通知は電話で来ることになっていました。不合格の人にはHP上で知らせることになっていたので、私はどうせかかってこないだろうと思って携帯は鞄の奥にしまって大学院の友達と面接の練習をしていました。
練習を終えてふと携帯を見ると、A社からの着信履歴。私は「何かの間違いでは」と思いつつも慌てて返信しました。すると、「おめでとう、合格しましたよ」。人事の方はさらっと一言だけ告げて、後はたんたんと事務手続きの説明を続けました。
本当に受かったのかどうか、受かったとしたら何がよかったのか……。本当のところ、実感のないまま今日まで来ているのです。それでも、内定式を控えた今、人事の方をはじめ社員の方々は本当に優しくて信頼できる方ばかりで、一緒にお仕事が出来るんだと思うと、とても楽しみです。また、私を採用して下さったA社には本当に感謝しています。期待に応えられるよう、常に学ぶ姿勢を持ち続けて前進していきたいと思います。
仕事は思いを形にする手段
就職活動はほんの僅かなステップに過ぎません。どんな仕事に就こうとも、生き生きと働けるかどうかは自分次第、自分が何を大切にし、何を形にしたいのかによると思います。私も、これまで大学で学んだこと、尊敬する方々から教えてもらったこと、自分が大切にしている価値を、少しでも形にしていけるよう、自立した人間になりたいです。
就職活動の最大の難関は、自分のやりたいこと、歩みたい人生を少しでも形にしていけるかどうか、ではないでしょうか。マスコミの「難関」の二文字に怯えて試験対策に熱心になりすぎるのはもったいない気がします。就職活動をするなかで同じ業界を目指す仲間に出会ったら、試験対策のための情報交換にとどまらず自分の思いや問題意識を語り合うといいと思います。マスコミは斜陽産業といわれるけれど、私たちがしっかりしていればきっと盛り返せるはずです。仕事は、思いを形にする手段だと私は信じたいです。