内定を得た今も自問する3つの問い
「なぜ、今、あなたは就職活動をしていますか?
あなたが、いわゆる ・マスコミ・ を志望するのはなぜですか?
あなたが、生涯かけて、伝えたいことって本当にあるんですか?」
就職活動中、私はこの3つの問いを幾度も自分の中で反芻した。明確な筋道だった答えが、すぐに出てきたわけではなく、その時、その状況に応じて変化もしたし、揺らぎもした。とってつけたような答えなんて、誰の心にも響かないし、誰よりも自分を騙すことになってしまう。親友からも何度も問われた。
「結局、あなたは、世間体とか気にしているだけなんじゃないの? 何をしたいの? なぜ情報を発信したいの? なぜ新聞社なの?なぜ出版社なの? なぜ広告なの? そこに一貫性はあるの? なぜ? なぜ? なぜ?」
エントリーシート(ES)に、読み手(面接官)を意識した、つくろった言葉を並べることは、取り組んでみると案外簡単であったりする。実際の面接も然り。最初は時間がかかるかもしれないけれど、ある程度数をこなすと自分なりのフォーマットが出来上がってくるからである。多少の修正の余地はあれども、多くはコピー&ペーストで事足りてしまう。ESが大変、大変――という先輩たちは多いけれど、本気でマスコミを目指す人であれば、締切りに追われる入社後を想像すれば、ESが大変だなんて弱音を吐いている場合ではないだろう。
では、面接官を意識した言葉を並べることが簡単だとしたら、一体何が難しいのか?
自分自身や自分の周囲にいる本当に大切な人たちに誠実であること。具体的には、冒頭の親友の問いに対して、誠実な言葉と答えを探し続けることが、私にとっては最も難しいことだった。もしも本意ではない言葉を並べ立てて、入社できたとしても、私はそんな自分自身の在り様に納得できないと感じていた。
既に内定を得た今でも、私は自分自身に問い続けている。
なぜ私は働くのか?
なぜマスコミなのか?
何を伝えることができるのか?
内戦が起きた国を訪ね歩いた経験
世の中に対して、情報を発信していく仕事に関わりたいと考えるようになったのは、内戦が起こった国を訪ね歩いた経験による。この世界には当事者にしか語りえない想いが存在しており、そういった想い・言葉に寄り添い、世の中に発信していくことが、自分に課せられた使命なのではないかと考えるようになっていた。それまでは、国際公務員として実際に世の中を変化させていくことを志向していたが、現場を見ることで己の無力さを思い知ったのだ。「まずは現実を伝えたい」という想いが自分の中に芽生えた。
帰国後、生きるとは何かと真剣に向き合うために、哲学や社会学を熱心に学んだ。自然に、私の周りには学問に関心を持つ友人が増えていったが、それまでの友人関係も大切にした。大学時代、多種多様な人間に出会い、友人となっておくことは非常に重要なことであると感じている。他者と対話することは、本からは得られない、生きた知恵を私たちに提供してくれると感じるからだ。
「情報の発信」という漠然としたテーマは出来たけれども、どういう媒体を使って、どんな情報を、誰に向けて発信したいのかを定めることにも、長い時間を要した。それは就職活動に突入してからも、定まらずにいた。
3年の10月から読売新聞が主ャーナリズムセミナーに参加して、毎週、新聞社に勤める方の話を聞く機会に恵まれた。しかも、このセミナー、3カ月の新聞購読が、おまけとしてついてくる(我が家には3カ月以上届き続けていた)。実家ならいざ知らず、一人暮らしの貧乏苦学生には、月3000円の出費は痛いもの。2カ月程度の短いセミナーであったが、現役の新聞記者や、新聞社を志望する学生たちに囲まれて、モチベーションも高まる良い機会となった。
このセミナーは、もちろん『マス読メルマガ』で知ったセミナーである。メルマガは、特に就職活動初期の頃、非常に役に立ったルマガには登録して、有効活用するべきであると思う。私はもし登録していなかったら、いろいろな企業のESの締切りを忘れてしまっていたのではないかと思うし、毎週2回送られてくるメールを読み、焦りが生じることで、頑張れたこともあった。
また、私の周りのマスコミ志望の就職活動生の中には、新聞を取っていない人も多かったが、やはり秋頃から新聞を熟読することをお勧めしたい。新聞に目を通してさえおけば、マスコミ漢字と朝日キーワード、また、本屋でうろうろしてベストセラーや本屋大賞を受賞した小説などをチェックするだけで、全てのマスコミの筆記試験に対応できる。実際に私は、集英社以外の筆記試験は全て通過できた。
本当に行きたい会社なら道は開ける
1月〜3月まで、私はアメリカの ・The Huffington Post・ のようなジャーナリズムサイトを日本においても作り出したいと考え、Web系の会社を受けていた。もはや紙媒体を用いてのニュースの提供はビジネスモデルとして破綻していると感じる一方で(具体的には新聞社を想定している)、記者という職業に対する憧れは募るばかりであった。
そこで、Web系の会社の面接官と対話することで、何かアイデアを得られるのではないかと考えたし、実際に就職して、ノウハウを学んだ後に、独立することも悪い選択肢には思えなかった。大体の会社で最終面接か、その一つ前くらいまでは選考が進むのだが、いずれの会社も「御社が第一志望です」と言えない自分がいた。結果、ぼこぼこ落とされる。実際の面接では「正義感が強すぎる」とか、「組織に向いていない」とか面と向かって指摘されることもあった。
また、既存のビジネスモデルの強化を望んでいる会社がほとんどであり、私が取り組みたいビジネスとの間に齟齬が生じたことも次々に落とされた原因である。ピークは3月の18日前後。もう就職活動は諦めたほうがいいのかもしれないと真剣に悩んだし、母に泣きながら電話をした日もあった。
アルバイトに励むことで気分転換を図りつつ迎えた4月の第1週。マスコミの筆記試験のピークである。この時期には、他企業の面接も重なり、なかなか筆記試験対策に集中することができず、焦りを感じた。直前の入念な対策よりも、この3年間自分が取り組んできた勉学を信じて、限られた時間の中で、集中して対策に取り組んだ。結局、朝日キーワードを通して読むだけで試験に臨むことになったが、直前に集中したことが結果的に功を奏したようである。4月4日、午前中がADK、午後が日経新聞。5日、午前中が共同通信、午後が朝日新聞。この2日間が私にとっては正念場であった。午前中の試験が終わったら、走って次の会場へ。情熱と、集中力、自分を信じることが試されていた。結果、全て通過。
予想に反して、非常に驚いたし、各試験の結果が届く度に小躍りした。「努力って報われるんだなあ」と、しみじみ。また、共同通信・朝日新聞・ADKは筆記試験の前に面接が実施されるのだが、マスコミの面接では、これまで感じたことのない手応えがあった。いずれの企業にも「御社が第一志望です」と自信を持って言えてしまう。それだけ思い入れが強かったのだ。4月第一週を乗り越えて、私は確信した。本当に行きたいと心から思える会社であれば、道は開けると。結果、電通や時事通信など、早々と辞退して、志望度が高いと判断した企業のみに背水の陣で臨んだ。
この時期、気分転換のために積極的に友人と遊んだ。毎日新聞の筆記試験は参加せず、私はその日、休日の遊園地でのんびりした気持ちでいた。4月も半ばになると、私は就職活動にうんざりし始めていたし、もしも私を企業が必要としないのであれば、それはそれで働かなくてもいいとすら開き直れるようになっていたのだ。
ダメ元で受けた企業からまさかの内定通知
朝日新聞(4/11)、共同通信(4/9)ともに、筆記試験通過の後は、集団討論があった。この集団討論、普段から問題意識を持って、世の中を俯瞰しつつ、日常において議論慣れしていないと、厳しいかもしれない。付け焼刃の対策でどうにかなるものではないと感じた。例を挙げると、共同通信の集団討論のテーマは、なんとびっくり「ジャニーズ」。「テーマはこちらです」と面接官。何の説明もなく提示されたテーマが「ジャニーズ」なのである。テーマが書かれたクリップが掲げられたとき、しばし呆然とした後、笑いがこみあげてきた。一体ジャニーズで何を論じたらいいのか、どういう切口を用いれば、プレゼンとして面白いか、個人に与えられた5分間で準備することが求められる。私は「子どもの主体性を大人が規定することに問題があるのではないか」といった論調でプレゼンを展開した。
集団討論の段階では、場の空気を読みながら、グループメンバーと喧嘩することなく、議論を進めたほうが良い。自己主張と協調性のバランスの良さが求められている印象。また、共同通信の集団討論で出会った仲間とは、未だに連絡を取り合っている。最終面接に、デニーズで深夜2時過ぎまで面接対策を一緒にした。就職活動を通して出会った多くの学生には関心を持てないだろうけど、「このひととは仲良くなりたい」と思ったひとは大切にしたほうが良いと思う。
朝日新聞社の集団討論・及び模擬取材は朝9時から夕方まで、お昼ご飯も面接官と一緒という状況で、過度な負荷に、終わった後は、ぐったりしてしまった。集団討論のテーマは「子どもに携帯電話を持たせることを禁止するべきか否か」であった。大阪府の橋本知事が小中学校での携帯電話の使用を禁止する措置をとったことに対して、私は反対の立場でで、その点を主張した。午後の模擬取材は、ある1人の記者に全体で質問をする時間、原稿を書く時間、個別質問の時間が割り当てられる。朝日新聞の「ひと」欄には日頃から目を通しておくことが望ましい。「ひと」欄と同じ分量の記事が求められた。この段階での面接は、やはり現場の現役の記者が面接官であり、質問内容は実践重視であり、本当に記者として生きていく決意があるのかが試されている気がした。
また、筆記試験を通過すると、受験者のレベルが一気に上がる印象があり、以後面接が進むにつれて、ある会社の面接で出会った人に、他の面接会で出会う確率も高まった。つまり、各企業が求める人材が、面接の回を重ねるごとに、重複していくのである。ここで、弱気になることなく、自分は絶対負けないと思い込むこと、自己肯定感を高め直す必要があった。
朝日新聞(4/18)と共同通信(4/15)の最終面接も、何人かメンバーがかぶっていて、待機会場で随分驚かされた。共同通信の面接時間は、いずれの面接でも時間が少ない。質問内容も型にはまったものが多い。「なぜ共同通信なのか」「なぜ地方の情報にこだわるのか」、この2点は何度も問われるので、入念な答えの準備が必要である。
の最終面接は、それ以前の面接とは一変。一気に厳粛な雰囲気に変わった。これまで和やかな空気で進む面接が多く、現場視点の質問事項が多かったが、最終面接では、新聞社そのものの理念的な役割や、私自身の生き様に関する質問ばかりだった。新聞社のこれからの行方だなんて、心情として希望的に語ることも出来ないので、多少の戸惑いがあった。
共同通信の最終面接を受験後、私は内定を確信していた。しかし、自分としては100%の出来であった最終面接なのに、内定の電話は、いくら待っても鳴らない。朝日新聞社からの電話も鳴らない。気が狂いそうになりながら、トイレに行くときも、眠るときも、携帯電話を持ち続けた。それでも無慈悲に、携帯は鳴らなかったのだ。
携帯が鳴らない日々にうんざりしながら、私はある致命的なことに気づいた。新聞社の最終面接以降、新聞を開いていなかったのだ。読書に励んだり、 ・The Huffington Post・ をチェックすることはあっても、新聞は読んでいない。つまり、私にとって新聞はあってもなくても、どちらでも構わないものであった。それに気づいたとき、電話が鳴らないことが腑に落ちた。こうして、右往左往した結果、多分、無理だろあと、最初から諦めていた出版社から、思いがけず内定を頂き、私の就職活動は幕を閉じた。
どうしたら納得できる就職活動ができるのか
この原稿を書いている夏の時点で、私の周囲には、内定が出ていない友人が数多くいる。各社採用人数を減らしており、厳しい戦いを強いられているようだ。「どうしたら納得できる就職活動ができるのか」という問いに関しては、たった一つの答えを見つけることは、おそらく不可能だ。
ひたすら、がむしゃらに、自分と向き合い、他者の声に耳を傾け、面接官に想いをぶつけること。必要以上に自分を飾らないことをお勧めする。あの手、この手でやってくる面接官の技を前にしたら、出来るだけ普段の自分をさらけ出すことが一番有効だと、私自身は面接中も感じていた。仮に、選考を受けた企業自体に縁がなくても、この面接官と出会えて、時間を共有出来たことは、自分にとって有意義であったなと思える面接というのは必ずある。
私は面接中、その会社に入ることに関心がなくなってしまって、面接官に、ひたすら人生相談に応じてもらった経験もある。人事担当者と仲良くなって、飲みに連れていってもらったこともある。一方で、こてんぱんに、面接官にやっつけれて、喧嘩になって、会社を一歩出てから、悔しくて悔しくて、号泣しながら友人に電話したこともある。振り返れば、全てが懐かしく思い出される。
内定を貰うことを目的化せず、人生において何を成し遂げたいのか明確にしていくプロセスを就職活動に見出すことで、随分気持ちが楽になるだろうし、喜びを感じることもあると思う。皆さんの就職活動が、悔いのないものになるよう祈って、筆を置くことにしたい。