面接でモノマネを披露 映画会社に合格
Nさん/東京大学 東映内定
Nさんはマス読実践講座の受講者で、何を隠そう講座でも中島みゆきの「地上の星」を披露してくれた。
講座での印象では絶対に大手に合格すると思ったが、この体験記を読むと意外と苦戦したらしい。
でも最後に見事内定をGET!
「面接はエンターテインメントだから。楽しませてナンボだよ」
とあるキー局のロビーでサンドイッチをご馳走になりながら聞いたこの一言が、私の就職活動の原点となった。11月中旬。初めての「OG訪問」。同じ大学、同じ学科、同じ派手な茶髪に、派手な服装の女の先輩。在学中から(一方的に)親近感と、そして憧れを抱いてきた先輩だった。
高校生の頃から私は、原田美枝子フリークだった。女優さんである。ファンレターを50通以上出したこともある。「どうしても彼女と一緒に仕事がしたい」これが6年間変わらない夢。出演作を見漁るうちに映画そのものにも取りつかれ、大学でも映画を学べる学科に進学した。もともとコントや、ステージ、短編映画などの台本を書いて作るのが好きだった。だから6年前からの夢は「映画を作りたい」という具体的なものに変わっていった。そのために脚本家を目指すシナリオスクールにも通ったが、まずは会社に属して社会を知りたいという思いから、就職活動を決意した。初めてのOG訪問から帰宅するとすぐに、エントリーシートを書き直した。
●修正前「バンド活動に力を入れた。特に学園祭のステージでは、歌謡曲演奏と寸劇を組み合わせたショーを企画し、自らもボーカルとして参加。非常にたくさんの集客に成功した」
●修正後「ピンクレディーを歌って踊り、曲の合間に『ドロボウネコ!』と叫ぶ。これが私の学生時代だった。自ら企画した歌謡曲+寸劇バンドは、駒場祭屋外ステージで約50バンド中最大集客数を獲得した」
先輩の言葉を基に考え、半年間の就職活動で貫いた私の就活術は、以下の二つだった。
術@「つっこみ待ち」の姿勢。
インパクトのある固有名詞・具体的な数字で、先を読みたい・聞きたいと思わせる。
術A「やりたい企画」を3つ、これ以上ないくらい詳細に考えておく。
ただ、最終面接的なものに関しては当てはまらないようだ。それと、この「意表をついてナンボ」という姿勢は両刃の剣のようで、同じ内容でも最終面接まで行く会社もあればあっさりエントリーシートで切られる会社もあったので、胸を張っておすすめできるわけではない……。
さて、こうして始まった就職活動。募集人数も少ないので映画会社だけに絞るのはよくないし、半年の間に気持ちが変わるかもしれないと思い、少しでも興味のある会社(私の場合全てマスコミだった訳だが)は受験することに決めた。
まずは日本テレビ。初めてのエントリーシートは「50音芸能人カルタ作り」と「自分を食べ物に例えた絵を描く」というもの。こういうのは大好きで、燃えた。先の二点を心がけていれば面接も苦労しなかった。2次面接は「圧迫」と評判だったが、術Aさえあれば切り抜けることができた。厳しい追及のあと「他にどんな曲が好き?」と聞かれ、「日野美歌の『氷雨』です」と恐らく面接官世代の方々ならではのコアな選曲をしたら、決して乱れなかった美人面接官の顔に初めて笑顔が浮かんだ。ほっとした。
筆記試験に関しては、時事ネタ、芸能ニュース、エンタメニュースなどの知識問題が散々の出来。普段からアンテナを張っておくことをおすすめする。結果は、恐らくSPIとクリエイティブテストに助けられなんとか通過。このクリエイティブテストも術Aに助けられた部分が大きい。そして迎えた、30分間のプロデューサー面接。部屋に入るといきなり、巨大サイコロを渡される。小堺一機の某番組のあの要領で、サイコロを振って出た目の話をその場でする。私のサイコロは「モノマネ」を上にしてとまった。
はっきり言って一瞬たじろいだが、「面接はエンターテインメント」の言葉を思い出して、目をつぶり、床をふみしめて両手を天に向かって伸ばし、高校時代から得意だった中島みゆきの「地上の星」を熱唱した。
結果は、通過。いよいよ合宿審査を迎えた。参加者88名。内容は、映像制作合宿だ。汐留パークホテルの豪華な部屋を一人一室与えられてはしゃいだのもつかの間、3泊で合計睡眠時間は8時間。これでも周りのみんなの二倍以上。とにかく短時間でグループ作品、個人作品の2本を撮影し、編集して提出しなくてはいけない。
個人作品のテーマは「喜怒哀楽」。「友人の出演は不可」という条件だったので、「トイレの便器と喜怒哀楽を分かち合う4人の女」をテーマにホテルの部屋で撮影をした。4人の女を一人で演じ分けるべく、顔に赤マジックでおびただしい文様を描いたり、髪の毛を逆立てたり、体中をトイレットペーパーで巻いたりした。そして寝不足の自分を奮い立たせて、ホテルの部屋でたった一人、便器と一緒に酒を酌み交わしたり、便器にガンギレしてみたり、便器の前で泣き崩れたりして、逐一ビデオテープに収めた。最後は「感情は、便器をも友人に変える by ゲーテ」「…ウソです」という酷いテロップを入れてまとめた。
「頭おかしいけど、いけるよ!!」。そんな人事の方の言葉に胸を熱くして合宿最後の面接に臨む。結果は、不合格。だが悔いはなかった。人事の方との交流も、あの非日常的な空間も、悪戦苦闘した映像作りも、そして同じグループの仲間たちも、全部宝だと思った。楽しかった。
その後しばらくはテレビ局の選考が続く。次はテレビ朝日。合宿こそなかったが、数回の面接に、筆記試験に、クリエイティブ課題やグループ制作。日テレ以降、エントリーシートには「特技:モノマネ」と書いておいたので、テレビ朝日のプロデューサーと他のブースの受験者達の前で、二度目の「地上の星」を歌うこととなった。結果は、通過。「モノマネをすれば通過」という軽いジンクスが私の中でできあがった。そして最終面接となる役員面接。今まで現場の方々には笑ってもらえたエピソードにも、ここではほぼ皆が渋い顔。一人へらへらして終わった。案の定ここで不合格。しかし滑り出しにしては好調だとこのときはまだ妙にのんきに構えていた。
ちなみにTBS、フジ、NHKは全てエントリーシート落ち。次に始まった出版社でもこの落差の激しさは似ていた。小学館では役員面接まで進めたが、講談社・集英社はエントリーシート落ち。この落差の激しさに、一人で「面白いな」とにやにやしていた。そして小学館の、実質最終と言われた役員面接も不合格。エントリーシートと、最終面接。何か致命的な点があるのだろうとようやく気付いた頃、映画会社の選考が始まろうとしていた。
映画会社は数少ないのだ。エントリーシートで落ちたら、もうにやにやしてる場合ではない。2月。ここで怒涛の先輩訪問週間が始まった。とにかくエントリーシートを見て意見をもらう。元々映画会社に勤めている先輩は一人しか知らなかったが、会う人ごとに「映画会社に行きたい」と言ってまわると全然関係ない友達が「俺の知り合いに映画会社の人いるよ」と紹介してくれるケースがいくつかあった。そして会ってくれた先輩に、次の先輩を紹介してもらう。
私は元来内気でネクラなので、先輩訪問には気が引けていた。しかし「未来のために後悔したくない!」という思いで、目をつぶってえいやっ! と携帯の発信ボタンを押すと、いつも見知らぬ先輩たちは親切に対応してくれた。このお陰で以降、テレビより倍率の高い映画会社のエントリーシートは、一社も落ちることがなかった。
そしていよいよ第一志望のアスミック・エース・エンタテイメントの選考が始まった。筆記を経て、1次面接でまたもモノマネ。今度は趣向を変えて、「松坂慶子のモノマネ」をして、好評を博した。通過。やはりジンクスは存在している。次にグループディスカッション。その前に受けていた広告会社ではここで失敗している。苦手意識があって色々対策も考えたが、結局自分の素が出てしまった。つまり、協調性がなく、キツい人間に見られたと思った。就活始まって、初めて本気で落ち込んだ。直後に受けた松竹では、志望度がとても高かったにも関わらず、「企画志望なのに全然知らない宣伝のことを付け焼刃で喋りだす」というありえないミス……。
落ち込みもピークに達した頃アスミックの選考結果画面をクリックすると、まさかの「合格」の文字……部屋で一人で声を出して「やった――」と叫ぶという漫画チックな行動に出てしまった。あそこまで素を出して、通過させてくれた会社。面接官の方たちとも話しやすかったし、結果は最終に近づいても全てウェブ上でというドライさが気に入った。やっぱり運命なんだと感じずにはいられなかった。
そしてたどり着いたアスミック役員面接。やはり最初に書いた2つの術を徹底していれば怖いことはなかった。ただここでも「モノマネを」と言われ、一次で好評だった松坂慶子をやるも、反応がイマイチ。そしてなぜか「じゃあリクエストするからやってよ……じゃあねえ、大竹しのぶ!」という無茶な展開に。大竹しのぶなんて、考えたこともない。だいいちセリフもわからない。5秒ほど考えて「わたし、わからなぁ〜い」という、あまりに中途半端なモノマネを展開。あまりに似ていないので、面接官の方たちも苦笑。今でも思い出したくない瞬間だ。「モノマネ似てなくてすみませんでした」と言って退出した。
結果発表まで、全てが上の空。2ちゃんねるを無意味に徘徊しまくる。結果発表のとき、今度は前にも増して画面をクリックする手が、震えた。
「合格」
体中の血が何倍もの速度でかけめぐっている気がした。やっぱり運命だ。絶対絶対絶対内定してやる!! 落ちてもへらへら笑っていた1カ月前とは別人の、本気の自分がいた。
しかしここで大きな壁が立ちはだかった。越えたことのない壁、最終面接。しかも残っている8人の中で、去年のデータでは3人しか内定がもらえない。そこで私はまた、色々な方に相談した。そこで言われたのが「相性」と「熱意」という言葉だった。「相性」を言い訳にしたくない! と超前向きだった私は、熱意アピール対策を練った。今までの面接では、たしかに熱意のアピールが足りなかった。
まずは会社ホームページの「社長の言葉」を暗記した。アスミックが手がけた作品の殆ど全てを観て、前会長の著書まで購入・読破。アスミックのOB・OGは見つからなかったが、知り合いの映画プロデューサーの方に電話をして会社の好みやツボを詳細に聞き、戦略を立てた。さらに、昔会社の役員をしていた祖父の家に赴いて、模擬面接までしてもらった。おじいちゃんの前でかしこまって「御社の志望動機は……」などというのは恥ずかしかったが、やれることは全てやりたかった。
そして迎えた最終面接。終始なごやかなムードで、笑わせることもできたし、今までのどの面接より話しやすかった。熱意もしつこいくらいに伝えた。この会社で働きたい! という気持が益々高まった。結果は翌日。待ちきれなかった。
その後、東映と東宝のそれぞれ2次面接をはしごした。どちらも1次面接は例の2つの術で好感触で通過。筆記試験は知識問題が非常に難しかったが、また恐らく、もともと得意だった作文に助けられて通過できた。特に東映は、「物語を作れ」というものだったので、大喜びで書いた。東映の2次面接は、受験者二人一組で受ける役員面接。重厚なドアを開けると、いきなり壁の哀川翔のポスターがお出迎え。役員の方々は役者と見まがうばかりの貫禄とオーラ、そして美声。まるでそのまま「仁義なき戦い」に出てきそうなインテリア。なんだか楽しくなった。
だがもう一人の受験者とは話が大盛り上がりしているのに、私とは一往復で終わってしまう。だから「モノマネは何やるの?」という重厚な声での質問を聞いたときは、救われた! と思った。「中島みゆきの地上の星です!」と満を持して言い放つ。ところが役員の方は、「へえー、なるほどね。えっとじゃあ、○○君(もう一人の受験者の名前)……」。全く手ごたえのないまま終わった。
東映は体育会系で古風だ、と言われていたので私には合わないだろうと感じていた。だが待合室で一緒だった3人は、たしかに硬派であまり自分の周りにいないタイプだったが、不思議と居心地がよかった。なんとなく仲良くなって4人で喫茶店へ行ったほどだった。
その後すぐ東宝へ。グループディスカッションだった。やはり難しく、その夜のうちに不合格の知らせが来た。やはり志望度が高かったのでがっかりしたが、このとき心はアスミックにあったのでそれほど気にならなかった。東宝では落ちたグループディスカッションで合格させてくれたアスミックの存在が、余計運命的なものとして際立ったほどだった。
その夜は、寝付けなかった。日付が変わった時点で何度も何度もアスミックの選考結果画面をクリックしたが、発表はまだだった。呆けたようにネットゲームをして、学校もさぼり、廃人のように過ごした。誰もいない部屋で、ひたすらパソコンにかじりついていた。クリックの動作がほぼ無意識のものになってきた3時ごろ。
ふいに、本当にふいに、「不合格」の文字が目に入った。一瞬、外界の全ての音が消えたような、不思議な感覚に陥った。数秒後、涙が出てきた。自分でもびっくりした。落ちても「面白い」とへらへら笑っていたあの頃からは考えられないことだった。
行きたかった会社に行けなかった悲しさ、悔しさ……それだけではなかった。何よりそのとき私は、いつの間にか崖っぷちに立っていたのだ。テレビを受けていた頃は「最初からここまで残れたなら儲けもんだ!」なんて思っていたが、映画会社に夢中になっているうちに出版、広告と落ちていき、気付けば松竹、東宝も失っていた。持ち駒を増やそうとエントリーしたメーカーの2次募集も、ことごとく落ちていた。おまけに唯一残っている東映はあの感触のなさだし、万が一通過しても最終面接が残っている。あんなに「合う!」と思ったアスミックで落ちたのだから、体育会系で古風な東映に自分が受かるわけがない。
涙も枯れて数時間、私は無意味に部屋を片付けまくっていた。すると重なった書類の下から携帯の鳴る音がする。知らない番号だった。慌てて取ると、東映の役員面接通過の電話だった。ありがたくてありがたくて、神様からの電話だと思った。
内定する自信は全然なかったが、もともと非常に志望度も高かった会社。それに前回の面接を通してさらに好きになってきていた。アスミックへの失恋の痛手は大きかったが、先の電話で気持ちは前向きになっていた。我ながら単純だ。アスミックの時から3日と経っていないうちに、同じ映画プロデューサーの方に電話した。「今度は東映について教えてください!!」。プライドも何もなかった。他の映画関係者はもちろん、周りの友人にも会うたびに東映について聞き、TSUTAYAで東映の作品を借りまくって、それぞれ感想を練った。
そして迎えた東映最終面接。この間一緒に役員面接を受けた子と再会。嬉しかった。相変わらず待合室のムードは居心地がよく、リラックスできた。ちなみに哀川翔の部屋が今度は待合室になっていた。
最終面接のドアを開けると、比類なき貫禄とオーラをまとったおじさま方が、10人ほどずらりと並んでいた。前回は3人。部屋に満ち溢れる威厳は、前回の比ではなかった。しかもまたもや、会話がほぼ一往復で終わってしまう。折角観た映画の話もないし、企業研究の成果も熱意も問われない。ただただ元気良く、礼儀正しく。「体育会系で古風」といわれた社風に対する単純な対策を実行することしかできなかった。
そしてまたアスミックのときと同様に呆然と日々を過ごし、さすがにさぼりすぎていた授業に出ていた時、こっそり握っていた携帯が光った。今度は番号を見てわかった。教室の外に出て、慌ててかけなおした。
「是非、東映で一緒に働いていただきたいと思います」
新緑の銀杏並木を見上げて、そういえば今こんなに美しい季節だったんだな、と気付いた。長かった就職活動が終わった。
結局、なぜ内定できたのかはわからない。しかし内定後同期の人たちと会うと、やっぱり居心地がいい。見ないようにしてきた「相性」という言葉が、実は答えだったんじゃないかと今では思っている。