味噌カツで勝つ

H君/早稲田大 準キー局一般職内定

テレビを志した理由
 実は私は中学生の頃から「芸能人と会える」という極めてシンプル且つ正直な理由でテレビ局を志望していた。高校1年時、ブラウン管の中でキラ星の如く輝く広末涼子を目撃し、テレビ局入りは夢から明確な目標へと変わったのである。思い込んだら一直線、就職活動ではもちろんテレビ局を志望した。以下に書くことは事実のみである。また、時系列的には並んでいないのは容赦いただきたい。

アナ試験で気付いたこと
 テレビ朝日アナでは「エントリーシートの裏に自由に書いてください」と問題にあったので、私はNステのセットに久米アナと私が並んで座っている様子を絵で表した。友人も絶賛する出来栄えで書類通過。
 1次面接。ここで度肝を抜かれた。産まれて初めての面接で緊張したせいもあるが、フリートーク(数枚の紙の中から一枚を選び、裏に書かれている言葉について自由に述べる)で私が引き当てた言葉は、なんと「ボブサップ」。制限時間30秒の中で私が言った言葉は
 「ボブサップは……(沈黙約10秒)……ええっとぉ、……(10秒)アメリカ人です……」 
 もちろん結果は×。当時の反省ノートには「ボブサップに注意」と書き記してある。

 さて、このような調子でフジ、日テレ、テレ東、TBSとアナの採用試験が続いたのだが、どうもしっくりこない。ES(エントリーシート)は通るものの、面接になると心で物を言っている気がしないのである。小学3年生の頃にしゃべりすぎで喉にポリープができたという経歴の持ち主が、面接となると完全にESの棒読み。そんな状態では何を言っても面接官の心には刺さらない。面接の雰囲気をつかむための練習という意味では良かったのかもしれないが、それにしても全てが最悪だった。結局アナに関しては在京キー局、MBS(毎日放送)、ABC(朝日放送)、瀬戸内海放送を受けたのだが、全て1次面接までに敗退という不甲斐無い結果に終わった。一緒にアナ試験を受けていた友達が、とんとん拍子でフジの最終まで残っていたのも素直には喜べず、普段からお調子者の私もさすがに精神的にまいっていたのだが、そんな時ある人の言葉が私の就職活動を大きく変えた。
 「何だお前?お前の人生ってそんなもんだったのか。死ね、お前死ね」
 ある人とは私の大学の11代前の先輩。しかも今住んでいる下宿の真上の部屋に、その先輩も学生時代住んでいたという。妙な縁で繋がり、日頃から優しく楽しく接してくれていたのだが、私の不甲斐無い面接見て、先輩なりの優しさで一喝してくれたのである。先輩の言葉は文字通り、私の心に刺さりまくった。こういうことか。

 いよいよ私の就職活動はトップギアに入った。先に書いた瀬戸内放送のアナ試験の前に、先輩のきついお灸がすえられたのだが、私は心の声で話し、少しぐらいの誇張はあっても嘘は言わないことにした。

:「私は本当はアナになりたいんじゃなくて、四国にJリーグのクラブを作るような サッカー文化を根付かせたい!!」
面接官:「もういいです。こっちも時間がないので」

 完全に面接官を怒らせてしまい、もちろん結果はだめだったが、気分は爽快だった。
 アナ試験で落としてくれた面接官に、この場を借りてお礼したい。アナ内定が出ていたら、私は本当にやりたかったことに気がつかなかっただろう。

ここからが本番
 フジ、日テレ、関西テレビの一般職試験は筆記で脱落、テレ東一般はES落ちだったので省略する。
 読売テレビ一般職は書類を通過し、1次面接は学生2人、面接官2人の形式で行われた。私ともう一人の受験者がともにサッカーの話題を展開したため、面接官も含めて4人でサッカー談義。他局ながらTBSの「スーパーサッカー」についての持論を熱っぽく語った。結果は○。
 次に筆記試験。内容はほとんど記憶していないが、感触はまるでなし。「通過者にだけメールでお伝えします」とのことだったが、約束期限を2日過ぎた後に「通過です。大阪来てください」という電話が。晴天の霹靂とはこのことか。
 さぁ次は大阪まで行っての2次面接。深夜に新宿からバスで大阪へ。午前5時に大阪に着き、当然一番乗りで本社へ。ここらへんは気合が入っていた証拠だと思う。
しかも偶然か否か2次面接でサッカー談義をした面接官が今回も私を担当してくれた。話はやはりサッカー。が、前回とほとんど同じようなことしか話さなかった。途中で面接官がニヤッと含み笑いをしたのだが、それは「またあの話か」とあきれているように思えた。予感は見事的中、役員面接前で敗退。面接後に他の受験者10人とお好み焼きを食べたが、普通すぎてちょっと残念。
 
 テレビ朝日一般職の1次面接では、金髪若手社員が面接官だったが、非常に熱心に話を聞いてくれた。ここでの逸話を一つ。

面接官:「君、自分を鮭に例えているけれども、なんで鯉じゃないの? しかも今日3 人目の鮭なんだけど(笑)」
:「ホントっすか!? 練り直します」
面接官:「あとの2人はこの質問でどぎまぎしてたけど、君あっけらかんとしてるね  ぇ。」
:「はははは、すいません」

 これが功を奏したのか、通過。度胸があるとか、神経が図太いとかではなくて、単に普通の会話をしただけ。下手な説明よりも、指摘されたところは素直に受け入れ会話を楽しんだことが通過の理由だったと断言できる。
 2次試験では中堅、係長(?)クラスの社員による面接だった。私は海外留学の経験があり、サッカーと同時に英語力もアピールしていていた。

面接官:「君、英語うまいらしいけど、海外での仕事で英語で交渉できる?」
:「……で、できます」

 それまでどうにかスムーズに会話が進んでいたが、ここで面接官の顔色が一瞬変わったのを私は見逃さなかった。日常会話は問題ないが、ビジネスとなると私の英語力はまだまだ未熟である。しかし嘘を言ってしまった。自己嫌悪に陥りもちろん結果は×。
 私の少ない経験から考えると、嘘をぶちかました面接はほぼ100%落ちた。心が純粋な私は嘘を言うとすぐに態度に出てしまうらしい。アナの面接でもそうだったじゃないか!!

 NHKとTBSライブの面接は同じ日にあった。どちらも会話を楽しむことができ、面接官の方も熱心に話しを聞いてくれた。帰りの電車ではいつになく気分がよく、その晩のビールはうまかった。あれだったら両方、最低でもどちらかは通るだろう。こう考えていた私が甘かった。結果は両方とも×。何故だ……。面接、奥深し。よがっているのかも。
 この時点で持ち駒はなくなった。一からエントリーしなおさなくてはならなくなった。在京、在阪、在名のテレビ局のほとんどは採用試験が終わっており、選り好みしている場合ではなかったが、愛知のXテレビ(準キー最後の局。都合により名前は控えます)、福井テレビ、テレビ静岡の3つを選り好みした。私は生まれも育ちも福井県の片田舎で、また静岡にも住んでいたことがある。Xテレビのある愛知には全く縁もゆかりもなかったのだが、人生はどう転がるかわからない。最終的にはXテレビに内定することになる。

 テレビ静岡の筆記試験の問題の一つに「静岡国体のマスコットの名前を答えなさい」とあった。確か答えは「フジッピー」だったが、少ない頭を働かせて考えた私の答えは「フジ太郎」。ニアミスも間違いは間違い。さらに「テレビ静岡は何番地にあるでしょう」という問題。答えは8番地。フジテレビ系列は8chであることが理由か。見事的中。
 ここで一つ当たり前の教訓。全国行脚をされる方は必ず地方のイベントの詳細をチェックしましょう。特にマスコットの名前は必覚。かく言う私もこの教訓が次のXテレビで活きてくることになる。筆記試験の結果は不合格。
 
 福井テレビは書類通過後、一次面接。

面接官:「まず、ご両親は何しているの?」
:「!!!???」

 最初の質問でいきなり家族構成を聞かれた。ある意味度肝を抜かれたが、テレビとはいえ大きなビジネスの世界。コネクションも必要だ。これで下手な番組を作っていたら辟易するところだが、確かに福井テレビはいい番組を作っている。しかも面接後は駅までのタクシー代を支給してくれた。さすが我が故郷。心が温かい。通過。
 
 愛知のXテレビは書類通過の段階で100人にまで絞り込まれていた。
 実はここまで受けてきた筆記試験で、通過したのは読売テレビのみであり、私にとって筆記は鬼門だった。しかし、テレビ静岡の教訓が活きる。
 「2005年に行われる愛知万博のマスコットの名前を選びなさい」
 きたきたきたぁぁぁ。みなさん御ぞんじでしたか、モリゾーとキッコロ。めでたく筆記通過。
 1次面接はいきなり役員面接。愛知または近隣県出身の24人の猛者達に混じり、一人福井県出身の私。面接は学生5人対役員9人の形式で質問はごくごく普通に「志望動機」「自己紹介」「やりたいこと」「学生時代にやってきたこと」など。
 途中までいい感じで進んでいた面接であったが、ここで私をどん底に突き落としたやり取りを紹介したい。

面接官:「君はサッカーのどこが好きなの?」
:「ボール一つあればどこでも誰でもプレーできるところです。だからこそ世界中に波及したのだし……」
面接官:「いやいや、そんな手垢に汚れた意見じゃなくて君の意見を聞いているんだよ」
:「は、はぁ(マジかよ)」

 待ってましたとばかりに持論を展開したが、一蹴された。面接官のあの呆れ顔は今でも忘れない。しかしここで落ち込んではいられない。「シャキっと、明るく、さわやかに」の炭酸系(これはNHKのディレクターをしている先輩から伝授された)を忘れず、自分の心の声で最後まで元気にやり通した。部屋の出入りは誰よりも元気に挨拶。
 健康診断。一次面接を受けた25人全員がぞろぞろと近くの病院へ。注射が痛かった。面接と健康診断の間にあった昼食では、縁起を担いで名古屋名物味噌カツを食べた。そのおかげであろうか、1次面接通過。
 ついに来た。初めての最終面接。控え室にいるのは10人。この中から2人ないし3人が選ばれるので、まだまだ気は抜けない。ちなみに前年の採用は2人。みな一点を見つめ、微動だにしない。緊張しているのが手に取るようにわかる。
 私たちのお世話をしてくださった総務の方が、
 「前回の健康診断で一人だけ血中アルコール濃度とコレステロール値の異常に高い人がいました。みなさん、大体健康ですね」
 と一言。この言葉で緊迫した控え室の空気は一気に和んだ。
 さて、肝心の面接では前回と同様に「志望動機」などのごく一般的な質問。しかしここでもどん底に突き落とされた。

面接官:「この局ではどんな番組が必要だと思う?」
:「サッカー、野球などはもちろんですが、もっとマイナースポーツを積極的に取り扱うような番組が求められると思います」
面接官:「もうあるんだよね、そういう番組」

 だあああああぁぁぁ、またやってしまったぁぁぁ。これで終了か。やっとこぎつけた最終面接。夢を見させてくれてありがとう。でも最後だけはキチンと挨拶とお礼をしよう。私はいつになく大きな声お礼を言い、深々と頭を下げ面接室を出た。
 結果は全員に電話で連絡するそうだ。帰りの新幹線の中では一縷の望みを託し、名古屋コーチンのチキンカツを食べたが、あまり美味しくなかった。さらば愛知よ、万博の成功を祈ってます。

 その日のうちに帰宅し、意気消沈の中でたまりにたまった皿を洗っているとき、携帯が鳴った。見ると名古屋の市外局番だった。もう結果出たのか……。
 私は恐る恐る電話に出た。

総務の方:「今日はわざわざ遠い所ご苦労様。どうだった?」
:「はっ!今日はありがとうございました。面接は……大失敗でした」
総務の方:「へぇ??? そうなの?」
 早く言ってくれ。俺は皿を洗わなければならないんだ。
総務の方:「こちらとしては是非君に来てほしいのだが。」
:「え? ……えええええ????」
総務の方:「どうですかね? 福井テレビまだ残ってるって言ったよね。これで君の就 職活動は終わりにしてもらいたいんだけど」
:「な、なんでオレなんすか? 今日の面接は最悪だったし。理由を知りたいっす!」
総務の方:「いやね、君が一番元気だったんだよ」

 泥臭くテレビ局だけを受け続けた私の就職活動はここに幕を閉じた。ちなみに健康診断で一人だけアルコール濃度とコレステロール値が高い者がいたと書いたが、その一人はまさに私であり、一緒に味噌カツを食った受験者がもう一人の内定者である。

終わりに

 結論。心の声で話しましょう。面接がうまくいかなくても、気持ちよく挨拶しましょう。本気ならば神に祈り、藁をもすがりましょう。何が幸いするかわかりません。
 では、みなさんの成功を祈っております。頑張ってください。


出発点はスポーツ記者になりたいという思い

Fさん/全国紙、通信社内定:
1年間の韓国留学を終えた大学4年の1月に、就職活動を始めた。しかし、なかなか気持ちを切り替えられず、しばらくは久々に会う友人たちと遊んでばかりいた。

新聞か出版か放送か思い悩んだ末に…

Kさん/放送局内定:
1年間の韓国留学を終えた大学4年の1月に、就職活動を始めた。しかし、なかなか気持ちを切り替えられず、しばらくは久々に会う友人たちと遊んでばかりいた。


多浪・既卒就活の末、出版社の編集者に

S君/出版社内定:
浪人時代も長く、いわゆる「マーチ」に届かない私大出身の私は、全国から秀才が集い、かつ高倍率であるメディアの仕事に就くことが果たして可能なのか、という不安があった。

一貫して広告志望だった私の就職活動

Yさん/広告会社内定:
「人のための課題解決がしたい」ただの綺麗ごとかもしれない。でも、これが広告業界を目指した私の心からの本音だった。私は小学生のころ、人と話すことが苦手で内気な自分にコンプレックスを抱いていた。