何をやりたいのか
考え続けた就職活動

U君/私立大 技術職内定

はじめに
 私の就職活動はとてもうまくいったと思う。ただひとつマイナスポイントを挙げるとすれば、本当に具体的に何をやりたいのか、そして自分の人生で何に優先順位をつけるか(仕事か、お金か、時間か、やりがいか、将来性か、……etc.)、はっきりさせておくことができていなかったという反省に後で至る。

 私は、志望業界としてはマスコミ、特に広告業界や音楽業界のマーケティングをやりたいと思っていた。自分の考えを提案し、それを形にして多くの人に見てもらうことができると思ったからである。少し異色に写るかもしれないが、同じ理由でテレビ局の技術職とコンサル業界も志望していた。

 私はマスコミ志望者の中では珍しいかもしれないが、理系の大学院出身で2年前の学部卒業の時にも就職活動を経験している。今回が2度目の就職活動となるわけである。2年前の反省は「自分はほかの人よりも恵まれた経験をしてきている。会社に入ってからほかの人よりも絶対に役立てる」と確信していても、それを伝えることができなければ意味がないということである。

 就職活動を経験すればすぐにわかることだが、初めて会った、年も離れた人に、わずか数分で自分のことを理解してもらうということはとても難しいことである。

 私は、学部を卒業してからの2年間、英語やコンピュータの資格取得のための勉強を自分に課した。資格というのは、自分の能力や自分が行った努力を客観的に保証してくれるものだと思う。「私はコンピュータに強いです」と言うよりも、「私は情報処理の資格をもっています」と言った方が強く納得してもらえることができると思う。この資格取得の経験は、あとでいろんなところで自分の役にたつことになった。

テレ朝、フジテレビの技術職試験が始まる
 1月23日テレ朝(技術)筆記試験。受験者のあまりの多さに驚いた。書類選考、1次面接の後だったのでだいぶ絞られているはずなのだが、それでも300人ほどはいただろうか。結構内容は難しかった。コンピュータや、インターネット関連の問題、次世代放送関連の問題を訊かれ、難問ばかりだった。幸いにも私の場合は情報処理の資格を取得しており、そのときの勉強が役に立った。
 1月25日テレ朝(技)2次面接。確実に不合格だと思った。私の場合は、面接を受け終わった瞬間に、その感触から合格・不合格の予想がつき、就職活動を通してほぼ100%あたっていたが、このときはいい意味で予想が外れていた。アルバイト帰りに合格の電話をもらい、雨の中傘をその辺にほったらかし、慌ててメモをとったのを覚えている。
 1月29日テレ朝(技)会社説明会。最終面接に進む19名が対象。メディア戦略室室長Mさんが、現在放送業界全体が抱えている問題点、放送業界を取り巻く環境などすこしも隠すことなく学生である僕らに話してくれ、これから必死になって競争力をつけていこうとしている点に心をうたれた。いままで、なぜテレビ局の技術職か、なぜテレビ朝日なのか?という質問に対する答えが自分の中で曖昧だったが、「絶対テレビ朝日でなければダメ!」と言えるほどこの会社にほれさせられた。本当に働きたい会社だと心の底から思えた。
 2月2日テレ朝(技)最終面接。うまく面接のペースがつかめなかった。自分よりはるかに年上の面接官に囲まれ、自分のペースを守りながら話すことがいかに難しいか思い知らされた。結局合格の連絡をもらうことはできなかった。就職活動を始めて1社目でここまで残れたと思えば上出来だが、やはりとても悔しかった。
 何度も顔を合わせた担当人事に落とされるならまだしも、たった1回だけ、たった数分だけ会っただけの面接官に落とされることは、当時の自分としては納得がいかず、とても悔しい思いをしたのを覚えている。採用面接の難しさを痛感した。

 2月2日フジテレビ(技)筆記試験。筆記試験(SPI)は得意なので、気楽な気分で受けに行くと、クリエイティブテストのみの試験。まったくうまく答えられなかったが、後日通過の連絡をもらうことができた。かなり待たされたにもかかわらず、あっというまの試験だったのを覚えている。
 2月3日TBS(技)1次面接。テレビ朝日の最終面接の結果を気にしながらTBSの面接を受けに行った。同じくテレビ朝日の最終面接に残っていた数人と顔を合わせ、「連絡来た?」などと会話を交わしながら面接へ。
 面接では、インターネットの出現により、放送局の立場があやうくなる危険性を指摘したところ、面接官を怒らせてしまった。「そんなのは日経○○とか読めば書いてあることでしょ?」とかとかなり突っ込まれた。正直、「はい、そのとおりです。」と言ってしまいたかったが、ここで引き下がったら終わりだと思い、かたくなに抵抗しつつも少し相手を持ち上げたら納得してくれた。面接という会話のかけひきの難しさ、自分の言いたいことをどううまく相手に伝えていくかという難しさを感じ、同時にうまく乗り越えれたのでうれしかった。面接の通過を確信した。
 2月8日TBS(技)筆記試験。ブロードバンドに関する問題、理工学的な問題、コンピュータに関する問題など。ここでも資格試験の勉強が役に立つ。自分ではあまりできなかったと思ったのだが、あとで担当人事の方に、「○さんは筆記よくできてましたからねぇ」と言われ、驚いた。
 2月10日フジテレビ(技)1次面接。面接時間は6分間と言われたのに、自分は2分で終わった。同じ時間帯に受けていた自分の友人より後からブースに入ったのに、終わったのは自分の方が早かった。あまりの時間の短さに落ちているのかと不安に思ったが、合格の電話が即日かかってきた。
 2月11日フジテレビ(技)筆記試験・2次面接。昨日に引き続き呼び出され、論述問題を課せられる。理系の典型的な弱点として、私も例に漏れず、長い文章を書くのは苦手。ほとんどそこ(論述問題)で見ているのではないかと思った。
 2月12日TBS(技)2次面接・プレゼンテーション。2次面接とプレゼンテーションが同時に行われた。自分の場合、プレゼンは、もとから得意な方だったが、このときはかなり成功した。学生の中で一番うまいプレゼンだと思った。意識的に注意をひきつけ、笑いもとり、しめるところはしめてと、最高に気分が良かった。就職活動の中でもっとも印象に残った選考だった。個人の個性・考え方が顕著に出る、非常にいい選考だと思う。 2月14日TBS(技)3次面接。このときは、フジテレビ・TBSの両方とも残っていた。両方受かったらどうしようかという問題が現実に近づいていた。が、それが落とし穴となった。面接ではもろに「フジテレビとウチと両方とも受かったらどっちにくるか」という点をつかれ、やはり人間正直なもので、本当に悩んでいるところをうかつにつかれると素直に答えてしまう。後で後悔することになる。こう訊かれた場合は、「もちろん御社です」以外の答えはないように思う。いい勉強になった。
 フジテレビの連絡は14日に、TBSの連絡も当日(14日)中と言われたが、双方ともに連絡がなかった。同時に2社からフラれ、最悪なヴァレンタインデーとなった。

テレ東試験でモー娘に遭遇
 3月12日テレビ東京(技)1次面接。集団面接だったが、自分が一番初めにあてられたため、時間配分がつかめず結構長く話してしまった。ほかのメンバーは簡潔にまとめていたので、1人で時間をとってしまい、申し訳なかった。思い起こすと就職活動始まって以来、初めての集団面接で、ほかの学生がどんなことを話しているのか、他人の中での自分というものを見ることができた面接だった。ほとんどみんな同じことを話しているんだな、という感想だった。
 3月22日テレビ東京(技)見学会。スタジオ見学をさせてもらった。モーニング娘。を見て興奮しているほかの学生をみて、「結構みんなミーハーだな」と感じた。「本当に職業としてやりたいのだろうか」という疑問が浮かぶ。
 3月23日テレビ東京(技)2次面接+健康診断。面接前に緊張して固まっているほかの学生や、集団面接中につっこまれてうろたえているほかの学生を見て、そういえば自分が全く緊張していないことに気が付く。面接で必要以上に緊張しないことも大切なことかと思う。
 3月28日テレビ東京(技)最終面接。「内定をもらったら、ほかの企業はどうするのか? 就職活動を続けるのか?」というところを厳しく訊かれた。実は少々迷いがあったのだが、TBSでの反省があるので、うまく答えた。
 4月6日テレビ東京(技)内定通達式。最終選考では、半分も落とされていなかったことに少し驚く。1年前に内定を蹴った学生が多かったらしく、そのことについて何度も念を押された(結局後日、お断りすることになってしまうのだが)。

ビクター、広告会社の試験
 5月19日ビクターエンターテインメント会社説明会・1次面接。Web開発や音楽配信など、技術系・システム系の志望理由をエントリーシートの中に書いた学生を集めた技術系の選考だった。私の場合、宣伝を志望したにもかかわらず、理系の大学院ということで、技術系の選考にまわされたようだった。「CDのジャケットについてどう思うか」「ナップスターについて」「どんな音楽が好きか」などを訊かれる。日ごろ思っていた自分の考えを音楽業界のひとに直接ぶつけることができ、すっきりして帰ってきた。これでいつ落ちてもいいと思った。ホームページの感想を訊かれたときは、まったく覚えてなかったので、「すみません。見ていません」と答えた。
 6月5日インタービジョン1次面接。控え室では、一言もしゃべらない、すごくおとなしかった学生が、面接室に入るなり、いきなり「失礼します!」と、大きい声で挨拶を始め、面接中ずっと声が大きかった。明らかに元気がいいのを作ってウリにしているのだろうが、私は逆に面接ではどこまで素の自分をだせるかが勝負だと思っている。つくった自分では見透かされるし、仮に合格しても幸せにはなれないと思う。
 6月5日ビクターエンターテインメント3次面接。面接中、「高く評価しているのですがどうですか?(内定を出したら来る気はありますか?)」と訊かれ、内定がほぼ決まった意思確認のような面接に感じた。正直、倍率がかなり高い音楽業界の会社にうかるとは思っていなかったので、驚いたと同時に少し拍子抜けした。
 6月6日ビーコン コミュニケーションズ会社説明会+懇親会。1次面接の時の面接官を見つけ、通していただいたお礼を言い、一緒に受けた4人とも通してもらった理由を訊いた。1次面接では雰囲気を見るだけで、あまり落とさないらしい。外資の会社と純日本的な電通とが合併してできたこの会社の特徴がいまいちつかめずにいた。

 6月12日ビクターエンターテインメント最終面接。てっきり学生は私ひとりだと思っていたので、4人同時の面接に驚いた。また、学生もみんなしっかりした受け答えをしていたため、前回の面接で内定がでたと思ったものの、結構危ないかもしれないと不安になった。後日知ったことだが、このとき同時に最終面接をうけた4人は全員内定していた。
6月16日ビクターエンターテインメント内定。内定を告げられ、「よろしく!」と、握手を求められた。かなりうれしかった。
 6月19日インタービジョン最終面接辞退。インタービジョンがどんな会社なのか自分の中で結局消化しきれず、自分が志望している理由も見つからなくなったため、辞退させて頂いた。
 6月20日ビーコンコミュニケーションズ3次面接。かなり厳しい面接だった。座るなり自己PRも志望動機もなしに、立て続けに30分以上、数十個の質問を息をつく暇もないほど質問を浴びせられた。途中で集中力が切れ、クラっときた後はあまりうまく答えられなかった。同時にこのときやそれ以前の面接で面接官をされていた社員の方の雰囲気から自分には合わない会社だと感じた。
 冒頭で「自分の人生の何に優先順位をつけるか。それを就職活動を始めるまでにはっきりさせておくことができなかった」と書いたが、これは本当に難しい問題だと思う。私の場合、幸いにも何社からか内定をいただくことができたために、迷いが生じ、このことを痛感することになった。
 就職活動というこれからの人生を考える上での大きな基点で、もう一度自分が本当に何をやりたいのか、そのためにはどうすればいいのか考えていくことが大切だと思う。正直、私は自分でそれをうまく消化できていない。


出発点はスポーツ記者になりたいという思い

Fさん/全国紙、通信社内定:
1年間の韓国留学を終えた大学4年の1月に、就職活動を始めた。しかし、なかなか気持ちを切り替えられず、しばらくは久々に会う友人たちと遊んでばかりいた。

新聞か出版か放送か思い悩んだ末に…

Kさん/放送局内定:
1年間の韓国留学を終えた大学4年の1月に、就職活動を始めた。しかし、なかなか気持ちを切り替えられず、しばらくは久々に会う友人たちと遊んでばかりいた。


多浪・既卒就活の末、出版社の編集者に

S君/出版社内定:
浪人時代も長く、いわゆる「マーチ」に届かない私大出身の私は、全国から秀才が集い、かつ高倍率であるメディアの仕事に就くことが果たして可能なのか、という不安があった。

一貫して広告志望だった私の就職活動

Yさん/広告会社内定:
「人のための課題解決がしたい」ただの綺麗ごとかもしれない。でも、これが広告業界を目指した私の心からの本音だった。私は小学生のころ、人と話すことが苦手で内気な自分にコンプレックスを抱いていた。