はじめに

 この本を手にとって読む人はおそらくテレビ局であるとか広告代理店などのマスコミと呼ばれるところに就職したい、もしくは興味があるという人だろう。マスコミの就職活動というと「マスコミ就職必勝法」や「マスコミ就職マニュアル」といった本も多くみられる。そのような本に自分の就職活動の模範解答を見つけようとしている人には、マスコミばかりでなく企業からの内定を勝ち取ることは難しいのではないかと思う。この本を読んでいるあなたはどうだろうか。銀行であろうと外資系企業であろうとマスコミであろうと相手に伝えなければならないのは「自分がどういう人間であるのか」、「自分はそこで何をやりたいのか」、の2つだけである。そこにマニュアルや必勝法なんてない。例えば恋人を作る必勝法とかマニュアルはあるのだろうか。「ここでこう言えば彼、彼女はもれなくあなたのもの!」などの特集を組んでいる雑誌の通りにやっても必ずうまくいくわけがないのは筆者が実証済みである。もしそういう百発百中の口説き文句があるなら内緒で教えてほしい。口説く相手によっても変わってくるだろうし、自分のタイプに合った方法というのがあるはずである。どういう風にやればうまくいくかは、気に入った相手にアタックして成功したり失敗したりしながら学ぶのではないか。それでも100%うまくいく方法なんてない。就職活動もそれと同じことだと思う。
 
テレビ局を目指したきっかけ

 私は電子工学科の学生だった。まわりの学生はメーカーの研究開発関係やIT関連のシステムエンジニアなどの職種に就くことが多い。私も学部学生の頃は漠然と自分もそうなるであろうし、そうなりたいなと思っていた。しかし大学3年から4年にかけて電機メーカーの見学を10社以上行い、多くのOBと話をした。しかしそこでは私にとって魅力的な人、こうなりたいなという人にほとんど出会えなかった。もちろんメーカーの人が魅力的でないと言っているのではない。自分にとってはということである。また電機メーカーで働いている自分の姿をいまいちイメージできなかった。就職活動をしている最中に、このまま電機メーカーに就職してしまっていいのかと疑問を感じたわけである。そのときにふと頭をよぎったのが、小、中学生の頃に憧れていたテレビ局の技術スタッフという仕事だった。しかし思いついたときにはテレビ局の就職活動は終わっていた。結局、学生時代に経験しておきたかった1ヶ月くらいの海外放浪をまだやっていなかったことや、就職に悩んだこともあって大学院に進学することにした。きわめて単純で消極的な選択であり、自慢できたものではないが。大学4年の卒業論文に取り組んでいるとき、何気なくTBSのホームページをみていると既卒でも受験できることを発見。大学院に進学は決まっていたが、とりあえず受けてみようと思い、既卒でも受験可能なTBSとフジテレビを受けてみた。しかし結果は無残なものであった。フジテレビは門前払いだし、TBSも2次、3次くらいで終わり。それまではもし受かってしまったら大学院やめようとか思っていたのだが、それがいかに甘い考えであったか思いしることとなった。しかし、面接でテレビ局の人と話をするなかでやはりこの業界でやってみたいという気持ちが固まったのは大きな収穫だった。

面接

 今振り返って考えるとどの面接でも不思議と似たようなことしかしゃべっていない。つまり似たようなことしか聞かれていないということであろう。それは「自分が何をしたいのか」と「自分がどういう人間か」である。就職活動、特にマスコミというと他の人と異なる経験であるとか、実績を話さなければならないと考える人が多いかもしれないが、そんなことはない。私は普通にアルバイトをして、旅行をして、学生生活を送ってきた人間である。全国優勝などという輝かしいものもない。同期の仲間をみても、確かにそういう輝かしい実績を持った人間もいるが、それは少数である。半分以上が私と同じような普通の学生生活を送ってきた人間である。もちろん実績のある人はそれを売りにするのは一向に構わないと思うが、ないからといって卑屈になったり、無理にすごくみせようと話す必要はないのではないか。まず普通である自分を認め、その上で自分という人間がどうやったらうまく伝わるのかを考えることである。自分にしかしゃべれない言葉があるはずである。なぜなら経験は平凡でもそこで感じたことや学んだことは千差万別であろうから。
 エントリーシートに書いてあるトピックスから面接官が興味を持った内容についてつついてくる。そこで自分の考えなり思ったことを会話するだけでよいのではないだろうか。私はいつもおじ様方と楽しくおしゃべりをするつもりで面接に臨んでいた。面接官は自分たちよりも長く生きていて、その業界でも経験のある方たちであるから、向き不向きであるとか、タイプのようなものは面接官が判断してくれるだろう。
 自分がやりたいことについてはそれがどれだけ具体的であるかというのを常に考えて欲しい。具体的というのは自分が働く姿を5年後、10年後くらいまでイメージできるかということである。そのイメージが映像として頭のなかで描けるなら、それをうまくことばで伝えればよいのではないか。例えばただ銀行でコンサルタントがしたいというのではなく、まず下町の支店で2、3年個人商店を相手に基礎を学んで、本店の専門部門にいく。そこでIT関連企業における人事体系に関するコンサルタントを自分はどういう風にやりたいのかというビジョンを描くことである。

道程

 99年12月24日 読売テレビ「テレビの門」。ここで自分のやりたいことを話したときに、「君のやりたいことは今テレビ局が欲しい人材だよ。」と言われ、自分の方向性は今のテレビ局にマッチしていると自信を持つ。
 2000年2月11日 TBS面接 なにをやりたいのかを主に聞かれるが感触は悪かった。民放では一番いきたかったところなのでかなり落ち込む。後日あきらめていたところへ通過の連絡が有り非常に驚く。
 2月12日 日テレ筆記 普通のSPIだが英語は難しかった。無難に通過。
 2月13日 フジテレビ筆記 これも普通のSPI。これも無難に通過。
 2月15日 TBS筆記 前の面接の感触が悪く、せっかくもらったチャンスなので少々意気込んで臨む。しかし専門試験できはあまりよくなかった。SPIはまあまあ。その日の内に通過の連絡有り。午後はテレ朝の面接。学生3人に対して面接官5人くらい。3人にほぼ均等の時間を割いてくれた。きかれたことはテレ朝に入ってやりたいことと、大学時代にや
ったことなどが中心。その日のうちに通過の連絡有り。
 2月16日 TBS面接 デジカメでテーマに沿った写真を撮り、その写真を用いてプレゼン。テーマをもらってから撮影までそんなに時間がなかったが、アイディアが浮かんで楽しくてしょうがない。試験であることを忘れ、楽しんでしまう。少し変わった形式だが面接ではみられないトータルな人間を評価できそうで、非常によいやり方だなと思った。5人で一緒にやるのだが、自分のプレゼンが一番面白いと思ったくらいのよいでき。それだけに無事通過。その後日テレに直行して、面接。3対1の面接。和やかな面接で聞かれたこともオーソドックス。これも後日メールで通過の連絡有り。
 2月17日 夕方までテレ朝の筆記。SPIと専門。どちらもそれほど難解ではなく無難に終了。後日通過の連絡有り。夕方からTBS局長面接。いままでの面接よりもつっこみはきびしいが、とくにとっぴなことを聞かれるわけではなかった。私が去年もTBSを受験しており、再受験ということを正直に話すと、「なぜ前は落ちたの。」、「なぜもう1度受けようと思ったの。」などを聞かれる。ここはアピールのしどころなので熱い思いを正直に話す。通過の連絡が指定時間ぎりぎりになってもこないため、やきもきして電話を待つ。しかし、無事通過。
 2月18日 TBS最終面接。健康診断の合間に社長をはじめとする役員の方々と面接。最後ともなると「ここまできたからには内定が欲しい。」という欲望がでてくるが、変に力んだり緊張しないで、いままでどおりやることを強く意識して望んだ。面接の内容自体はいままでと特に変わりはなかったけれど、はじめて自分の研究内容についてつっこんで聞かれた。最後に「TBSに内定いただければ、その場で他局をすべてお断りします。」と断言して帰ってくる。結果は採用不採用にかかわらずその日のうちに電話がある。夕方、内定との連絡があり、夜にもう一度TBSに呼び出される。そこで握手をし、内定。

最後に

 本格的に始まってからは1週間ちょっとという短い期間だった。だが、その時期に研究の方もたまたま締め切りを控えており、日中は面接で、夕方研究室に帰り泊まりで作業。また朝になって面接に研究室から出かけるという日もあった。いつも同じスーツ、同じシャツ、ネクタイという状態だった。研究のことも気にかかったり、電話待ちがつらかったりと不安定な気分になりがちだったが、なんとか最後まで平常心で乗り切れたのは友人や恋人、両親など、まわりで支えてくれた人のおかげであると実感している。この場を借りて感謝したい。また内定にいたる過程で、最後は運や縁など見えない力を感じたことも事実である。
 就職活動はどこも倍率は高くなっている。自分のやりたいことや自分がどんな人間かが相手にどんなにうまく伝わっても、相性や求めるタイプが違うということで不採用になることも多々あると思う。これから就職活動する人は視野を広くもって、つらいこともあったけれど就職活動をやってよかった、結構楽しいものだなと最後に思えるような活動をしてもらいたいと強く思っている。私の体験がこの本を読んだ人たちの就職活動の一助とあれば幸いである。


出発点はスポーツ記者になりたいという思い

Fさん/全国紙、通信社内定:
1年間の韓国留学を終えた大学4年の1月に、就職活動を始めた。しかし、なかなか気持ちを切り替えられず、しばらくは久々に会う友人たちと遊んでばかりいた。

新聞か出版か放送か思い悩んだ末に…

Kさん/放送局内定:
1年間の韓国留学を終えた大学4年の1月に、就職活動を始めた。しかし、なかなか気持ちを切り替えられず、しばらくは久々に会う友人たちと遊んでばかりいた。


多浪・既卒就活の末、出版社の編集者に

S君/出版社内定:
浪人時代も長く、いわゆる「マーチ」に届かない私大出身の私は、全国から秀才が集い、かつ高倍率であるメディアの仕事に就くことが果たして可能なのか、という不安があった。

一貫して広告志望だった私の就職活動

Yさん/広告会社内定:
「人のための課題解決がしたい」ただの綺麗ごとかもしれない。でも、これが広告業界を目指した私の心からの本音だった。私は小学生のころ、人と話すことが苦手で内気な自分にコンプレックスを抱いていた。