大阪理系学生の
無謀な出版社挑戦記

S君/大阪市大 出版社内定


 放送作家、フリーライター、雑誌編集者。僕の将来の夢は言うたびに変わっていたが、「マスコミ」ということだけは変わらなかった。というわけで就職活動シーズンに入ると当然のように『マス読』を購入するが、本棚に入ればそれが違和感を放つのもまた当然。なぜなら、まわりには理系向けの就職ガイドと数学の専門書が並んでいるのだから。
 というわけで、大阪の理系大学生のどう考えても無謀なマスコミヘの挑戦は、2月初めに始まった。

書類落ちでも余裕のスタート

 2月8日、目経BP社セミナー。こっちは初めてスーツを着るというのに、まわりは早くも活動の話でもちきり。なぜみんな知り含いがいるんだ、なんて思いつつ居眠り。その上勉強もせず22日の筆記試験を受けるなど、まだまだ余裕たっぷり。もちろんこれで敗退。
 翌23日は毎日放送の書類締切。ホームページでダウンロードするのが面倒だったので、文系の友人に送られてきたエントリーシートをもらって提出。なんで理系のやつには送らんねん、と怒りながら書いたためか書類落ち。在阪局では第一志望だったので、少しへこむ。
 3月19日NHK書類提出。写真の大きさは他より大きいし、書く量も異常に多い。これで落ちたらたまらんなあ、と考える一方、自分がNHKで働く姿を想像してにやにやする。我ながら気持ち悪いが、どこの書類を書く時も、通らないなんて夢にも思ってないのだから仕方ない。しかしここでも書類落ち。「受信料取り立てバラエティ」という企画は10年早すぎたか……。
 25日朝日放送・集英社、翌日は朝日新聞社と締切ラッシュ。徹夜で仕上げた甲斐あってすべて通過。といっても朝日新聞は書類審査はなかったのだが。
 そんな25日に東宝の説明会へ。いきなり会場が暗くなり、スターウォーズの予告編が始まる。あまりの迫力に絶対見に行こうと決意。しかしこれを書いている時点でもまだ見ていないのであった……。
 4月2日NHKエンタープライズ21書類提出。相変わらずの書く量の多さと中途半端な写真の大きさに嫌気がさし、むちゃくちゃ書いて提出。もちろんご縁はなし。
 4月10日「ラジオも好きだがテレビも大好き」と作文に書いたためか、FM大阪書類落ち。正直に書き過ぎるのも考えものだと実感。
 4月11日朝日新聞社筆記試験。相変わらず何も勉強せずにのぞむ。その割にはできたと思うのだがやはり敗退。ま、別に新聞社行きたい訳じゃないし。気にしない気にしない。
 4月15日小学館書類締切。郵便局はエントリーシートを書く学生でいっぱい。もっともほとんどはNTTのやつだったが。小学館の課題作文「わたし、本当は○○なんです」は、あの作文の権利だけでも返してくれ、と今でも思っているほど会心の出来であった。pic005_s.gif
 4月19日集英社一次面接。今年は筆記の前に面接を、とのこと。ろくに準備もせずに行ったが、関西人がそんなにおもしろいのか、相手はやたら笑い、かなり良い雰囲気。その上、人事の人から今年は大手三社の筆記の日が重なると言われる。これじゃあ講談社の書類なんて書く気もなくす。しかし出さない訳にもいかないんで、書類審査がないのをいいことに、むちゃくちゃ書いて提出。こんな調子でいいのだろうか。
 さて、21日は朝日放送、26日は関西テレピの一次面接。前者は盛り上がるが、後者は最悪。どっちかといえばABCの方が行きたいし、なんて楽天的に考えていたが、結果はどちらも不通過。しかしまだまだ焦りはない。
 4月28日の吉本興業説明会は、芸人が出てる訳でもないのに笑いの連続。やはり社員もおもしろくないといけないのだろうか。
 5月6日は増進会出版社の筆記と面接。交通費が出るとはいえ、静岡は遠すぎる。筆記でも面接でも、大学での勉強内容を突かれ、精神的にも肉体的にもどっと疲れた。

そんなあ。まさかの最終落ち

 5月9日は出版大手三社の筆記試験がバッティング。幸い手元には3枚とも受験票が届く。少し迷ったが、一度面接を経ている集英社を受けることに。この選択が吉と出るか凶と出るか……。
 さて試験当日。一人さみしく東京へ。まわりはみんな何か勉強している。しかも横の3人はマスコミ予備校の知り合いらしく、お手製のプリントまで持っている。試験前から萎縮した上、午前中の時事・英語・国語は勉強不足、というより何もしてないため散々な出来。午後の漢字も半分位しか書けず。しかし作文だけはまたも会心の出来の爆笑SF。『プレイボーイ』を編集する自分を想像しつつにこにこ帰宅。なんとその後2次面接も楽しく通過し、なんと最終面接に。5月24日、もう内定した気分で面接に挑み、特に大きな失敗もなし。こりゃあ内定だ、と思い大阪に帰るが、電請はならず。これには楽天的な僕もさすがに落ち込む。最終まで行ったのに……。しかも集英社と格闘してる間に、東宝、テレビ大阪、文藝春秋、NHK出版、メディアワークス、扶桑社と大量に書類落ちしておりさらに落ち込む。理系ということで、まわりはほとんど決まってるし、僕の活動は一足先に梅雨入りか、と不安ばかり。しかし今更後にもひけぬ、と唯一届いた角川書店の筆記の受験票を握りしめ気合いを入れ直す。さよなら集英社、さよなら5月。

気合いを入れ直し、角川へ

 6月6日角川書店筆記試験。なんとマークシートじゃなくすべて記述式。またも自分の勉強不足を存分に発揮し用紙はすかすか。一方作文では、我ながらほれぼれするほどの天才的文章力を十二分に発揮、深田恭子に会うのを夢見つつすがすがしく試験終了。余裕の通過。
 6月23日。1カ月ぶりの面接は角川書店1次。これまた久々の集団面接で少し緊張したが、僕の好きな作家の編集の方でもいたのか、やたら会話は盛り上がり、2次面接へ。
 7月1日角川2次面接。僕は会えなかったが、違う部屋にはあの花田編集長もいたらしい。本屋でのバイトの話になり、「角川の本は延期が多くて困る」と言うと、苦笑される。手ごたえは無かったがこれも通過し、最終へ。
 7月13日、重い重い雰囲気の角川書店最終面接。またも最終落ちかと思うと、こっちの気分も重くなる。特に何を聞かれるでもなく、普通に終了。いったい何を見ていたのか分からぬまま死んだ目をして無言の帰宅。
 しかしその夜、電話が鳴る。次は社長面談とのこと。ここでは落ちないらしいけど……。
 そして7月19日。控え室での話題は、今回は本当に落ちないのか、ということばかり。
 社長が一人一人のやりたいことを聞いてはそれについて何かしゃべる、という感じの社長面談。しかし僕は「ひねくれている」と書類に自分で書いていたことを突っ込まれ、白分で思うほど君は変わっていないから、素直になりなさい、と一人説教される。こりゃあ僕だけだめか、と思い落ち込むものの、結果は全員内定。最後の最後までヒヤヒヤものであった僕のマスコミヘの就職活動はやっと終わった。
 大阪在住、理科系、しかも特にマスコミ対策もしていない僕が、無事出版社に内定したのは今でも信じられない。しかし思えば、サークルで番組を作ったり、1年生の時から別に家から近い訳でもないのに本屋でバイトしたりと、何らかの形で自分のマスコミへの思いを行動に表していた。マスコミヘの「愛」だけは、人一倍強かったのだろう。
 そして作文で書きやすいテーマが出たり、面接の方が僕の好きな作家の知り合い(?)だったりと「運」も大変良かった。それに、最終まで行った集英社と内定した角川以外は、なんと1次面接より先には行ってないのだからこれも「運」としか言いようがない。
 そしてこれらは「縁」なしには成立しない奇跡であろう。
 「愛」、「運」、「縁」そしてバイト先の方や友人たちへの「恩」。これらが僕を角川書店へ導いた。ということにしておこう。多分99%「運」だろうけど。
 さて、倍率の上では、これを読んでいる人のほとんどはマスコミに就職することはできない。しかし、そんな目先の倍率に焦ることはない。こんなふざけた人間でも内定したのだから、きちんと対策を練ってこれから活動するあなたなら、きっと夢はかなうであろう。もちろん運を良くするために日頃から良いことをすることもお忘れなく。


出発点はスポーツ記者になりたいという思い

Fさん/全国紙、通信社内定:
1年間の韓国留学を終えた大学4年の1月に、就職活動を始めた。しかし、なかなか気持ちを切り替えられず、しばらくは久々に会う友人たちと遊んでばかりいた。

新聞か出版か放送か思い悩んだ末に…

Kさん/放送局内定:
1年間の韓国留学を終えた大学4年の1月に、就職活動を始めた。しかし、なかなか気持ちを切り替えられず、しばらくは久々に会う友人たちと遊んでばかりいた。


多浪・既卒就活の末、出版社の編集者に

S君/出版社内定:
浪人時代も長く、いわゆる「マーチ」に届かない私大出身の私は、全国から秀才が集い、かつ高倍率であるメディアの仕事に就くことが果たして可能なのか、という不安があった。

一貫して広告志望だった私の就職活動

Yさん/広告会社内定:
「人のための課題解決がしたい」ただの綺麗ごとかもしれない。でも、これが広告業界を目指した私の心からの本音だった。私は小学生のころ、人と話すことが苦手で内気な自分にコンプレックスを抱いていた。