大切なのは
あきらめないこと

Aさん/都内国立大 出版社内定


 就職色がだんだん濃くなってきた12月、友人の「どんな業界受けるの?」という質問に、私は「出版社!」と思いつきのように答えていた。確かに雑誌は大好きで、なかでもファッション誌はほとんどといってよいほど目を通していた。自分もこの世界の一員となって撮影に同行したり、企画を立てたりしたい、そして自分の作ったものを多くの人に見てもらいたいという、なんともミーハーな考えがまさに私の志望動機だった。そしてマスコミの倍率がどんなにすごいか、活動がどんなに厳しいかを知らないまま、マスコミ予備校の門戸を叩いたのだった。
 マスコミ受験の厳しさ、難しさを知る機会を得られた、勉強方法・対策を伝授してくれたという意味では、私にとって予備校はとてもプラスになったと思う。しかしそれ以上に、同じマスコミを目指す者どうしで勉強会を開いて作文や志望書を添削しあったり、愚痴や弱音を吐きあったりしたことが、就職活動を成功に導いたのではないかと思う。だが、超楽天家・プラス思考のわたしはまだまだマスコミ受験の本当の辛さを知らなかった。根拠のない自信。そして、はなっから出版志望なのでほかは力試しと思って受験するという割り切った甘い考え。それが私の漲るやる気と行動を空回りさせていたのかもしれない。

  関西こてこてパワーに負ける

 4月6日ベネッセセミナー。案の定、選考会。出版志望は受かりにくいとの情報から、家庭教育志望に切り替える。でも、たった2,3問の質問で何が解るんだろう?翌日、通過のTEL有り。
 4月8日テレビ朝日1次面接。準備不足と興味不足のためしどろもどろに。そこに集団面接で一緒だった関西こてこてパワーが追い討ちをかける。ついに質問されることなく終了。関西人の話術に脱帽。
 4月13日三笠書房筆記。遅刻したうえに飯田橋で迷子になり、親切なおじさんに会場まで連れていってもらう。おじさんの親切を無駄にするものかと俄然やる気。おかげで無事通過。その日、東京都区内の詳しい地図を購入。
 4月14日NHK予備面談。「この仕事をしていてよかったなと思うことは?」という問いかけに、目を輝かせながら延々と語ってくれた面接者。「生まれ変わってもこの仕事に就きたい」というせりふに感動。
 4月17日ベネッセー次面接。パルコの説明会と重なり、案の定大遅刻。大量の汗を流しながらクリエイティブテストを15分で仕上げる。しかも、焦りのためなにも思い浮かばず、諦めモードでチッチョリーナのコスチュームにタイガーマスクをかぶせる始末。面接は無難にこなす。なぜか通過。
 4月19日NHK、朝日新聞筆記試験。人波に酔う。問題は例年よりも易しく感じた。作文に手応えを感じたNHKは不合格、そして手応えなしの朝日新聞が通過。
 4月21日講談社書類提出。アパレルの説明会の後、千駄ヶ谷のマックで書類書きに追われる。が、あまりのうるささに集中力を欠き静かな場所を求めてふらふらと上智大学へ。学生番号を偽って図書室に潜入し、一気に仕上げる。その後、柴田恭兵なみに地下道を走ったことはいうまでもない。
 4月23旦三笠書房筆記(2次)。コンテンツ作りと作家への依頼書が課題。予想はしていたが、これがまた難しい。拝啓という字を間違えてしまったことに後で気がつき、涙を流す。しかし、なぜか通過のTEL。
 4月25日朝日新聞1次面接。緊張のあまり口が乾いて口を閉じられなかった。そのため終始笑顔。初っ端から「あなたおっちょこちょい?」と訊かれ意気消沈。大部分が人生相談になったあげく、「お酒強いんだあ」の一言で終了。泣くに泣けない。

  不毛時代が続く…

 怒涛の書類落ち。NHK出版、オレンジページ、宝島、新潮社、ぴあ、角川、TBSブリタニカ、世界文化社と大手出版社は落ちまくり。書類には自信!を持っていただけにかなりへこむ。そんななか、ソニー・マガジンズの書類通過はありがたかった。5月7日ベネッセ2次面接。まったくもって解答不可能な自社SPIに莫大な量の正確検査。そのうえ、超圧迫面接。なにを言ってもああ言えばこう言う。不合格を確信。その足で三笠書房1次面接へ。即戦力となる人材を求めていたようで、どうやったらよい編集者になれるか、編集者にはなにが必要かなど、突っ込んだ質問が多かった。1時間半で全人格を見られたという感じ。「あなた編集者になったらたいへんよお」の言葉にまたまた敗退を確信。いま考えてみれば、この日が不毛の時代の入り口だった。
 5月9日講談社筆記試験。ものすごい人・人・人。そしていまだかつてこんな広い部屋に入ったことないほどの大空間での試験。うわさどおりの一般「非」常識問題に鉛筆を転がす。なぜか合格。
 5月10日集英社筆記試験。第一志望だっただけに気合いが入る。納得のいく作文が書けたにもかかわらず不合格。かなりへこむ。
 5月13日ソニー・マガジンズ1次面接。一緒に受けた受験者がこれでもかってほど、質問も言ってることもやりたいことも(趣味や特技までも)私と一緒だった。おまけになんだか顔も似てる。やる気をなくし、言いたいことも言えず終了。こんなことってある?
 5月16日講談社1次面接。面接者との出会いに当たりはずれがあるとはいえ、まさにはずれ。「腹のたつ人」の欄に「小学生の親」と書いたら、面接者3人とも小学生の親だった。ビンゴ。面接者を敵に回し、あっさり敗退。
 5月22日ソニー・マガジンズ2次面接。またしてもそっくりさんと一緒だった。あなたにとって編集者とはと訊かれ何も言えず。無念の敗退。
 5月26日小学館書類提出。ま、ま、まさかの書類落ち。失敗談は最高だったはずなのに。自分に編集者は向いてないんだとまじで落ち込む。後で書類不備だったことに気づいたが、諦めるに諦めきれない。
 6月9日シンコー・ミュージック1次面接。恒例の巡回面接。男女別れての面接だったがさすがに個性派揃い。特技は?と訊かれて堂々と「笑顔です!」と答えたら苦笑いをしていた。通過。
 6月17日光文社1次面接。英、慶応、早稲田、そして私というメンバーでの面接。面接前からかなり意気消沈。が、オシャレだと思う街と人と店は?という質問にここぞとばかりに熱弁をふるう。無事通過。学校って関係ないんだな、とかなり(?)無理のある優越感にひたり、ひとりほくそえむ。

  面接者に履歴書を投げられる!

 6月19日シンコー・ミュージック筆記試験・2次面接。まだまだかなりの人が残っていた。筆記は音楽フリークにしか解らない問題。半分しか手が付けられないまま面接へ。ここで履歴書を投げられるという大事件発生!履歴書にシールを貼ったのがよっぽど気に食わなかったらしい。「最悪だよ!」という罵声に必死に涙をこらえた。なぜか通過。
 でもまた怒鳴られるのかと思うと足がすくむ……。
 7月1日シンコー・ミュージック最終面接。最終面接とは思えない人数。まだ50人は軽くいそうだった。1次面接から変わらず巡回面接。なにか言い残したことは?と訊かれ、「夢について語らせていただきます」と作りたい雑誌について熱弁した。その後、若い社員の方と1対1で面接。最近行ったライブは?よく行くクラブは?ヒップホップだったらどんなの聴く?といった雑談が10分。翌々日、郵送にて内定通知が。嬉しさのあまり全身の震えが止まらなかった。こうなったら現金なもので、怒鳴られたことも良い思い出に。
 7月3日日之出出版1次面接。内定ももらったことだし、本当に行きたい、ファッション誌を出している会社だけを受けることにした。かえってそれが良かったのかもしれない。』思っていることを本音で、自信を持って喋ることができた。この時期になると面接もコツを掴み、面接者が思わず尋ねてきたくなるように答えられるようになった。通過。
 7月8日婦人画報社1次面接。憧れの『シスター』編集長が面接者だった。着ている服のブランドやコンセプト、読んでる雑誌、好きなファッション等、ファッションの話ばかりでとても楽しかった。通過。

  筆記時に冷房で腹をこわす

 7月9日学習研究社筆記試験。それにしても寒かった。えらく冷房のきいた部屋で、1時間経った頃にはお腹をこわす。トイレにかじりつかざるをえなくなり、テストどころではなかった。あれは絶対陰謀だ!
 7月16日婦人画報社筆記試験。一般常識、英文和訳、三題ばなしと盛りだくさんの内容だった。三題ばなしはさんざん悩んだあげくこてこてのラブストーリーを書いてしまった。「こんな話書くなんて、私ってかわいい奴」とひとり照れる。通過。
 7月17日日之出出版筆記試験。こちらもSPI、作文、一般常識とかなりハードだった。手応えなしだったが、忘れた頃に通過の通知が。
 7月23日婦人画報社2次面接。ドアを開けた瞬間めまいがした。コの字型に囲まれての面接。どこを見たらいいのか解らないうえに、1分ほど沈黙が。……気まずい。
 が、シンコー・ミュージックの内定を告げたとたん和やかに。フリーマーケットの話やファッション誌に写真が掲載されたこと、女子高生と話すのが趣味なことなど、自分の得意分野にぐいぐい話を持っていく。また、特技の欄に「笑顔」と書いて自らにプレッシャーをかけることで、笑顔でいられたし、面接者の関心も引けた。最後に「いやあ、ほんとにいい笑顔だねえ」と褒められ、合格を確信する。面接者を味方にすれば楽しい時間をすごせることをいまごろになって理解する。
 7月30日婦人画報社最終面接。部屋に入った瞬間「島ならではの生活を教えてください」(私は島生まれ、島育ち)とものすごい笑顔で言われ面食らう。……そんなこと言われてもあなたたちが期待しているほどのサバイバル生活はしてないんだけどなあ……。さらに「漢字の成績、悪いねえ」とたしなめられた。逆に作文は褒められた。筆記試験は役員までもが目を通しているようなので、心してとりかかったほうがいい。手応えというものがまったく感じられないまま3分で終了。落ち込む。午後は日之出出版の最終面接。婦人画報の不完全燃焼を晴らすかのごとく、堰を切ったようにしゃべりまくる。自分的には納得のいく面接だったが、結果はバツ。帰宅すると、婦人画報から内定の留守電が!喜びの余り力が抜け、へなへなになった.努力はいつか実るとはまさにこのこと、感無量だった。

  夢に向って突っ走った就職活動

 いま思えば、中学生のころ「シスター少女」だった私は、『mcシスター』の制作に携わること、出版社で働くことを夢見ていた。活動終了して、婦人画報で働くことが決まってから忘れ物のようにこんなことを思い出したのはあべこべもいいところではあるが、いま私は本当に一番なりたかったものになれたんだと改めて実感する。そして、そんな目標を忘れ、ただ漠然とすごしてきた大学3年間に比べて、夢に向かって突っ走った就職活動中はいままでで一番自分が輝いていた時期だったと思う。
 一番大切なことは諦めないことだと思う。確かにマスコミにはその人の持っている雰囲気、センス、考え方が重要となってくる。しかしそれ以上に必要なものもある。自分なりのスタンスを持って、常にプラス思考で、決して夢への道を変えない信念を持って努力していれば、いつか夢は必ず叶う。これからマスコミを受ける皆さん、夢を夢で終わらせないためにも、諦めることなく信念を貫き通してください。そして、就職活動の時期に運を呼び込むためにも、いまのうちから良い行いに励んでおいてください(私はこれをしなかったため不毛の時期をすごしたんじゃないかと思えて仕方がないのだ)。


出発点はスポーツ記者になりたいという思い

Fさん/全国紙、通信社内定:
1年間の韓国留学を終えた大学4年の1月に、就職活動を始めた。しかし、なかなか気持ちを切り替えられず、しばらくは久々に会う友人たちと遊んでばかりいた。

新聞か出版か放送か思い悩んだ末に…

Kさん/放送局内定:
1年間の韓国留学を終えた大学4年の1月に、就職活動を始めた。しかし、なかなか気持ちを切り替えられず、しばらくは久々に会う友人たちと遊んでばかりいた。


多浪・既卒就活の末、出版社の編集者に

S君/出版社内定:
浪人時代も長く、いわゆる「マーチ」に届かない私大出身の私は、全国から秀才が集い、かつ高倍率であるメディアの仕事に就くことが果たして可能なのか、という不安があった。

一貫して広告志望だった私の就職活動

Yさん/広告会社内定:
「人のための課題解決がしたい」ただの綺麗ごとかもしれない。でも、これが広告業界を目指した私の心からの本音だった。私は小学生のころ、人と話すことが苦手で内気な自分にコンプレックスを抱いていた。