出発点はスポーツ記者になりたいという思い

Fさん/全国紙、通信社内定


部活に明け暮れ、スポーツ記者をめざす

 スポーツの世界を知りたい、歓喜があるときにその場にいたい、自分が見たものを書くことでその瞬間を残したい。スポーツが好きだからスポーツ記者になりたい、書く事が好きだから新聞社がいいという思いから、私の就活はスタートした。

 2月後半に新聞社2社のインターンシップに参加した。夏休みは部活でインターンシップに参加できなかったため、この時期からが本格的な就活となった。5日間の全国紙のインターンシップでは本社の記者の方々に自分の書いた作文を見てもらったり仕事の話を聞いたりしただけでなく、総局を訪問して若い記者の仕事ぶりを見ることができた。6日間のブロック紙のインターンシップでも、整理部の仕事をやってみたり、実際に取材して原稿を書いたりと、より実践的に仕事を体験でき、自分が新聞社で働く姿を描くことができた。

 しかし一方で、それまで部活しかやっていなかった私は、バックパックでの旅行、議員インターンシップ、大学院での専門的な研究、珍しい語学の習得など様々な経験を持つほかの就活生に圧倒されて自信をなくし、うまく記者さんたちと話せない場面があり、不安を抱えてしまった。また、2つのインターンシップに部活の合宿をはさんで参加し、合わせて2週間に及んでしまったことでかなり疲れてしまった。そして、3月1日を良くない形で迎えてしまった。

 3月に入ってからは、学内の説明会に参加するとともにいくつかの選考を受けていった。インターンシップで感じた「記者になれたとして、やっていけるのか」という悩みが深くなる中、「楽しそうだから」という理由でリゾート会社を受験した。たまたま合っていたのか、トントン拍子で選考が進み、内定をいただいた。この会社にはかなり行きたいと考えていたため、これから先は志望度の高い会社しか受けずに済んだ。

 4月と5月は各社のエントリーシートの準備をするほかは、部活に明け暮れていた。5月末に大事なリーグ戦があったからだ。時間が作れれば説明会やセミナーに参加していたが、それ以外は余裕がなく、5月末から6月初めに行われる出版社の筆記対策が全くできていなかった。この時期は、試合の日程とかぶった筆記試験を受けられなかったり、試合の翌日で声が枯れて面接に行けなかったりと就活に力を入れられなかった。しかし、リーグ戦ではこれまでにない良い成績を残すことができ、この経験をのちの面接でも自信を持って話すことができたため、結果的には就活にもプラスだったと考えている。

 リーグ戦を終えた次の日から2日間で3つの出版社の筆記を受けたが、3社の中で最も志望度の高かった社には落ちた。また、ほかの2つについては、筆記は通ったものの1次面接で片方は新聞社のインターンシップと日程がかぶり、片方は面接の時間を間違えるという不運とミスによって選考から漏れた。

読売インターンシップでモチベーション高まる

 就活に対するモチベーションが低下する中、もう一度「記者になりたい」という気持ちになれたのは、6月に行われた読売新聞のインターンシップのおかげだった。1泊2日で総局訪問するという、例年選考の過程に盛り込まれているプログラムだ。訪れた総局で出会った方々、付き添いのため大阪本社から来ていた記者さんたちと話し、それまで抱いていた「記者には特別な問題意識や強い思いがなければいけないんじゃないか」という偏見(?)が消えた。

 このインターンシップで話した記者さんたちがみんな話しやすく人間味のある方たちばかりで、つらい取材に悩みながら熱意を持って仕事をしているのを感じ、自分もそうなりたいと思うようになった。また、総局で仲良くなった女性の若い記者さんが、「絶対記者に向いているよ、一緒に仕事がしたい」と言ってくれたこと、後日行われた報告会で人事部のデスクさんに1対1で面談をしていただき、「大丈夫!」と太鼓判を押してもらったことが、このあとの自信になった。ここから私は、多くの記者に会おうとOB訪問をしてモチベーションを高めるとともに、「自分がどの社に向いているか」を捉えようとした。

 7月、スポーツ紙の選考を受けた。あまりスポーツ紙に親しんでこなかったので自信はなかったが、2社出したところ両方とも7月末の最終まで進むことができた。しかし、「2つ受ければどちらかは通るだろう」と意味もなく安心してしまい、最終面接の重苦しい雰囲気で熱意を伝えきることができなかったのだと思う。就活解禁日を翌日に控えて1通のお祈りメールと1本の補欠連絡の電話を受け取った7月31日は、私の就活のなかで一番苦い日だった。

 8月1日、重い気分の中臨んだ日経新聞の1次面接の出来は最悪で、さらに午後の読売の筆記も論文で思いもよらなかった題が出て動揺してしまい、あまり自信がなかった。2日の午前は共同通信、午後は朝日新聞の筆記だった。私は共同の運動専門試験を受けるために共同の試験終了と朝日の試験開始が同時刻という日程になってしまい、共同を少し早く切り上げてタクシーで向かい、朝日の試験には遅れて参加するという強硬手段をとった。

 翌日、日経に落ちたこと、ほか3社は通ったことが分かる。4日、朝日新聞の1次面接と集団討論が行われた。集団討論でまわりの意見を聞くことが多かった私を面接官の方が気遣って下さり、面接でも鋭い質問が多いわりにきっちりと答えることができたため、とても印象が良かった。

 5日は毎日新聞の1次面接。ニュース検定取得により書類選考と筆記試験が免除されていたこともあり、あまり対策できていなかったのだが、人事の方が待ち時間が長くなったことを詫びてくれたり、面接官が話をうなずいて聞いてくれ、たまに褒めたりもしてくれたので受けてよかったなと感じた。当日、2次面接の案内が来た。

不安と緊張で不眠気味に

 6日は私にとってとても長い日になった。まずは共同通信の実技試験、テーマに沿って取材し、原稿を書く。インターンのときから知らない人に声をかけて話を聞くことを怖がっていた私はこの試験にかなり不安を感じていた。事前に取材したい場所を調べておき、そこに向かったのだが、話を聞いたおじいさんが本当に気持ちの良い方で、どんどん質問が浮かんできて、とても楽しかった。実技が終わるとすぐ2次面接だった。書いた原稿を批判されるなど少しきつかったが、人によっては私の部活の話を熱心に聞いてくれ、私自身を見てくれているのだなと感じた。

 続いて読売の1次面接。午前中に面接を終えた複数の友達から「面接官が厳しい」と聞いていたので不安だったが、私のブースは穏やかで笑いも出る雰囲気だったので安心した。当日、読売から最終面接の案内が来た。一方、共同からは連絡が来ず、即日だと信じていたため落ちたと思い落ち込んだ。不安と緊張でこのあたりから不眠気味になってしまった。

 7日、朝日の二次面接。あまり寝られず体調も悪かったため不安も大きかったが、面接の前に知り合いの記者さんにたまたま会い応援していただき、急にやる気が出た。この日の面接はかなりうまくいき、なぜか面接官にESと作文を褒められたり、インターンでお世話になった記者さんの話で盛り上がったりと楽しい時間だった。当日、最終面接の案内が来た。

 9日、読売の最終面接。それまで感じていた相性の良さとは裏腹に、答えづらい質問が多く、言葉に詰まってしまう。「最終なんだからこんなものかもしれない」と思いつつも、「落ちただろうな」という手応えだった。ただ、読売の志望度は高かったのでかなりショックで、連絡が来ないことがなかなか信じられなかった。この日、ふいに共同通信から2次通過の連絡が来る。落ちたと思っていたので、こちらはとても嬉しかった。混乱した精神状態で、この日を終えた。

就活をしながら部活にも励む

 翌々日、2・5次の結果待ちをしている間に、面接が進んでいた他社から内定の連絡を頂き、どうにか就職活動も一段落がついた。すぐにずっと心配してくれていた親や友人に連絡。みんな声をあげてよろこんでくれた。その会社は、常に人柄を見る面接をしてくれていた事が、自信につながった。大きく見せたり、知っているフリをしたりする必要はない。等身大の自分でNHKの最終面接に臨もう。最終面接では、簡潔に、自分の言葉を貫いた。分からない事は分からないと言い、どんなに難しい質問をされても、答えられる範囲内で答えるよう努めた。

 21日。NHK内々定。長いようで短い就職活動が終了した。第一志望から内定を頂いたことは決してまぐれや運ではないと今振り返って強く思う。自分の経験や忘れられない出来事を遡(さかのぼ)った上で将来の自分像を明確にしたこと。それが出来る企業を第一志望として選んだこと。NHK受験者の誰よりも展覧会やイベントに行ったと胸をはって言えること。そしてNHKでしか叶えられない自分の夢を面接官に自分の言葉で語れたこと。その全てが積み重なって内々定を頂く結果に繋がったのだと考える。

マスコミ志望者へのアドバイス

 就活を終えて思ったことは、多くの記者、そして記者を目指す人に会えてよかったということだ。少しのインターンシップだけで、「記者のイメージ」を固める必要はなかった。ほかの就活生のバイタリティーや知識量に圧倒されて諦める必要もなかった。

 だからこれを読んでいる、どうしてもマスコミに行きたい人にも、マスコミも考えているというくらいの人にも、多くの記者に会って欲しいと思う。説明会でもインターンでもOB訪問でも、たくさんの人に会える。私にはずっと記者になることへの迷いがあったし、来年からやっていける自信はやっぱりないけれど、就活を通して出会えた人がこんなにもおもしろかったというだけでも、マスコミを受けた価値があると思っている。

 就活にどういう正解があるのか私にはわからない。私は第一志望から内定をいただいたけれど、これが正解だったのかもわからない。多くの噂に惑わされ、自信を失ったこともあった。けれど、本当に自分がこの職業に就きたいと思ったのなら、自分に与えられたルートでがんばるしかない。これを読んでいるみなさんの就活が、みなさんにとって大切な何かを得るものであることを願っている。


出発点はスポーツ記者になりたいという思い

Fさん/全国紙、通信社内定:
1年間の韓国留学を終えた大学4年の1月に、就職活動を始めた。しかし、なかなか気持ちを切り替えられず、しばらくは久々に会う友人たちと遊んでばかりいた。

新聞か出版か放送か思い悩んだ末に…

Kさん/放送局内定:
1年間の韓国留学を終えた大学4年の1月に、就職活動を始めた。しかし、なかなか気持ちを切り替えられず、しばらくは久々に会う友人たちと遊んでばかりいた。


多浪・既卒就活の末、出版社の編集者に

S君/出版社内定:
浪人時代も長く、いわゆる「マーチ」に届かない私大出身の私は、全国から秀才が集い、かつ高倍率であるメディアの仕事に就くことが果たして可能なのか、という不安があった。

一貫して広告志望だった私の就職活動

Yさん/広告会社内定:
「人のための課題解決がしたい」ただの綺麗ごとかもしれない。でも、これが広告業界を目指した私の心からの本音だった。私は小学生のころ、人と話すことが苦手で内気な自分にコンプレックスを抱いていた。