幼い頃から好きだった音楽の仕事に
Sさん/学習院大学 アミューズ内定

  就職を意識してから知ったアミューズを第一志望に決め、まっしぐら就活。
  一時は夢のまた夢と思えた内定を遂にGET!
  21歳になって親の前で声を上げて泣くという、思わぬ体験を果たした。



音楽を通じて人の心に何かを届けたい

 幼い頃から音楽が好きで、大学に入った時には「将来は音楽に関わる仕事がしたい」と漠然と思っていた。しかし大学3年になり、サークルやアルバイトなどで忙しく過ごしているうちに12月も半ばになってしまい、就職活動にかなり不安を抱いたのを覚えている。それでも何かしなくてはと、大学内のセミナーや合同説明会にせっせと足を運ぶようになったが、いくら他の会社の説明を聞いても、音楽やマスコミといった会社にしか興味を持てず、このあたりではっきりと自分のやりたいことが見えてきた。

 音楽やエンターテインメントを通じて、人々の心に「形や言葉にできないもの」を届けたい、というのが私のやりたいことだった。大学のサークルでのライブ活動や、様々なライブやイベント・舞台を見て、そこには心と心が通い合う何かがあると確信したからだった。

「アミューズ」のことははっきり言って何も知らなかった。友達に話を聞いて初めて知り、そこから調べ始めたのがきっかけだった。そしてその時直感で「ここだ!」と思った。今思うと不思議だが、それまで名前も知らなかった会社なのに、「ここに入りたい!」と強く思ったのだ。そして深く調べていくうちに自然と第一志望になった。

 とにかく初めは自己PRや志望動機を電車の中で考え、ひたすら携帯のメモ機能に打ち込んだ。あの時ほど携帯のメモ機能が便利だと思ったことはない。入力してはまた消して、どの言い回しが一番わかりやすく私の言いたいことが伝わるかひたすら考えた。友達と喫茶店に入り、お互い読み合ったりもした。今思うと、一番シンプルな言い方が一番心に届くのではないかと思うが……。

 マスコミのエントリーシート提出は3月や4月と割合遅かったので、それまでの1〜2月は化粧品メーカーやアパレルメーカーなど幅広くチャレンジし、就職活動の感覚をつかもうと思った。初めてのエントリーシートに四苦八苦しながら徹夜で何枚も仕上げた。しかし選考をトントン拍子で進むも、最終面接で残念な結果に終わることが多かった。原因はおそらく、どこかで「どうせ練習だから」という気持ちがあって、甘く見ていたところがあったからだと思う。こういうことにならないよう、これからは気を引き締めなければならない、と思った。

 実際にマスコミのエントリーがはじまると、毎日が緊張の日々だった。今まで以上にエントリーシートを練りに練って、写真を貼ったり色を使ったり、とにかくあらゆる方法を使って自分をアピールした。その甲斐あってか、書類選考は7勝2敗と通過することが多かった。


桑田圭祐さんのマネージャーに!?

 そしていよいよ面接が始まった。既にいくつか面接は経験済みだったのでそんなに動揺したりはしなかったが、それでも自分が一番入りたい業界の面接にはかなり気合が入った。バップミュージック、ポニーキャニオン、アミューズ、ソニーミュージック……とそれぞれが少しずつ重なるように面接が始まっていった。

 ポニーキャニオン1次面接、かなり広いブースで何十組も同時に面接が行われた。あまりの緊張で2対2の面接だったこと以外はあまり覚えていないが、面接官が私の隣の女の子の話にかなり食いついていたので、「あぁ、これはダメだな」ととても落胆して帰ったのはよく覚えている。が、受かっていた。その後もグループディスカッションの2次選考、個人面接の3次選考と順調に進んだが、ここで敗退してしまった。3次面接は4対1の個人面接で、エントリーシートの話でかなり盛り上がり、笑い声が絶えなかったので、内心「やった!!」と思っていた。合否の通知がリクナビでくるまでの数日間、内定をもらった後のことまで若干想像してしまっていたので(まだ最終でもないのに)、通知を見たときのショックといったらなかった。この時、「お先真っ暗」状態になってしまった。

 それでもまだ本命のアミューズの選考が残っていたので、少し立ち直ることができた。しかし、私は「アミューズに入りたい」とは思っていたが、内定をもらうなんてなんだか夢のまた夢のような気がしていて、現実的にとらえていなかった。だから、選考をひとつずつクリアしていくことが不思議でならなかった。アミューズ1次面接はグループ面接で、自己紹介や今ハマっていることは?

 など特に意地悪な質問もなく、和やかな雰囲気だった。

 しかし、ここでもまた隣の男の子がものすごくキャラの立った子で、「私はこういう運命なのだろうか……」と先が心配になった。が、また通過。2次面接は個人面接で、この時も私らしさが発揮できる質問が多かったように思う。「うちの会社で好きなアーティストはいる?」という質問に、「桑田圭祐さんです!」と答えると、「じゃあ桑田さんのマネージャーになることになったらどうする?」と聞かれた。どうするも何も「恐れ多いです……が精一杯頑張ります!」と、なんだか普通のことしか言えなったが、面接官はにっこり笑ってくれた。

 3次面接は受験者4対4のグループディスカッション(討論)。私は割合話を進めていくのが得意だったので、グループ内で話をまとめていき、うまくプレゼンを乗り切った。ここも奇跡的に通過。

 この時、私はようやく自分の状況を客観的にみることができた。「あれ?

 もしかして次が最終面接?」と、自分がここまでこれたことが不思議で不思議で仕方がなかった。あんなに雲の上の世界のように思っていた場所がもうそこまで来ているんだと思うと、嬉しさと緊張と不安とやる気と……いろんなものが自分の中にみなぎった。もうやるしかない、と思った。実はこの時、本命業界の他社選考も残っていたが、金融企業で一社内定をもらっていたので、次の最終面接がやるだけやってだめだったら胸を張って金融業界に入ろうと決めた。本命業界であっても、アミューズ以外に入りたいとは思えなくなっていたからだ。


最終面接の朝、緊張のあまり吐き気

 そして最終面接の朝、緊張のあまり吐き気がした。内容は面接官十数人対受験者5人の集団面接、そしてその後一人一人個人面接を行う、というものだった。面接官の中には会長と社長がおみえになっていて、逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。

 今までの選考の和やかな雰囲気とはガラリと変わり、少しピリピリするような空気の中、「どんな仕事がしたいか」「力を入れてやってきたこと」など、音楽に関わる具体的な質問をいくつもされた。

 そして集団面接が終わったかと思うと、休む暇もなく個人面接へ。しかも私が一番手だった。先ほどの集団面接の話を掘り下げる形で質問が進んでいった。そして様々な質疑応答が繰り返された後、社長が一言、「うーん……分析は合っているんだけどね……実際は厳しい世界なんだよ」。この一言で本当に泣きたい気持ちになった。やはり自分には無理なのか……と。

 最終面接の結果は4日後に電話かリクナビで、とのことだった。もちろん電話が欲しかった。その日は朝から携帯電話を肌身離さず持っていたが、あっという間に夜7時をまわってしまった。私は体に力が入らず、涙も出なかった。この時、どんなに自分がアミューズで働きたかったのかを改めて思い知った。

 するとその時、待ち望んでいた番号から着信が入り、「内々定」の言葉を頂いた。電話を切った瞬間涙が溢れてきて、一目散に両親に知らせに行った。21歳にもなって両親の前で声をあげて泣くとは思わなかった。この数カ月間の先の読めない不安や焦り、精神的に辛かった日々などが走馬灯のように蘇ってきて、それら全てに終止符が打たれたと思うと何とも言えない安堵感に包まれた。そして何よりも憧れの会社から内定をもらえた喜びは言葉にならなかった。


就職活動において大切なことは…

 今振り返ってみると、最初は学内セミナーの模擬グループディスカッションを体験して、こんなこと自分には絶対無理!

 と思っていたことが嘘のように思える。人はやるしかない状況に追い込まれれば何だってできると思い知った。新しい自分に出会えた気がする。

 そして就職活動において大切なことは、常にどんな事に対しても自分なりの意見や考えを持つことだと思う。それは例えば時事関連のことであったり、その日見た風景や漫画・本のことでも何でもいい。とにかくそれについて自分がどう思うか、考えてみること、考える癖をつけることが必要だと思う。

 そうすることで、面接で突拍子もないことを聞かれたとしても、自分の引き出しが増えて答えられることも多くなるし、社会人になって自ら考え動かなければならない状況でも役立つし、何よりもこれからの自分の幅が広がるのではないかと思う。就職活動を終えてみんなが一回り成長しているのは、そのせいだと私は思う。


出発点はスポーツ記者になりたいという思い

Fさん/全国紙、通信社内定:
1年間の韓国留学を終えた大学4年の1月に、就職活動を始めた。しかし、なかなか気持ちを切り替えられず、しばらくは久々に会う友人たちと遊んでばかりいた。

新聞か出版か放送か思い悩んだ末に…

Kさん/放送局内定:
1年間の韓国留学を終えた大学4年の1月に、就職活動を始めた。しかし、なかなか気持ちを切り替えられず、しばらくは久々に会う友人たちと遊んでばかりいた。


多浪・既卒就活の末、出版社の編集者に

S君/出版社内定:
浪人時代も長く、いわゆる「マーチ」に届かない私大出身の私は、全国から秀才が集い、かつ高倍率であるメディアの仕事に就くことが果たして可能なのか、という不安があった。

一貫して広告志望だった私の就職活動

Yさん/広告会社内定:
「人のための課題解決がしたい」ただの綺麗ごとかもしれない。でも、これが広告業界を目指した私の心からの本音だった。私は小学生のころ、人と話すことが苦手で内気な自分にコンプレックスを抱いていた。