テレビ局で働くことが昔からの憧れだった
A君/神戸大学 関西テレビ内定

  幼い頃から大のテレビ好きで、中学生の頃には既にテレビ局の採用情報を見ていたという。
  憧れだけでは受からないテレビ局の試験をどうやってA君は突破したのか。
  運と縁と言われる就活の極意は?


 私はかなり早い時期からマスコミ、特にテレビ局で働くことを夢見ていた。振り返ってみると、中学生ぐらいの頃にはすでに、テレビ局のホームページ上で採用情報を見ていたように思う。

 それほど早くから私が、テレビ局で働きたいという気持ちを持っていたのは、やはり幼い頃から大のテレビ好きで、テレビっ子だったから。そして、自分も画面の向こう側の世界に行ってみたいという憧れがあったからである。しかし、「憧れ」や「好きだから」といった理由だけでテレビ局に就職できるほど、世の中甘くはない。

 そこで、私のテレビ局内定までの道のりを、簡単にではあるが、テレビ局を目指す皆様の道標になればと思い、紹介したいと思う。


まさかの日テレ一次落ち

 私の就職活動は、大学3年生の9月、日本テレビへのエントリーから始まった。私はマスコミ塾に通うといったような、マスコミ対策らしいことは何をすることもなく、部活に打ち込む毎日を送っていたのだが、しかし「テレビ局で働きたいという熱い気持ちは誰にも負けない」と、試験に対する自信は満々だった。

 書類選考は無事通過し、そして迎えた運命の一次面接。与えられた時間は約5分。私は5分間、面接官に思いの丈をぶつけ続けた。面接官はニコニコしながら、時折うなずきを見せて私の話を聞いている。最後には「それ、面白いね」という言葉までかけてもらえた。完璧だ。私は小さくガッツポーズをしながら、意気揚揚と試験会場を後にした。

 しかし――。結果は無残にも不合格。まったくもって理由が分からない。まさか一次面接でいきなり敗退することになるとは。テレビ局のハードルの高さをまざまざと見せつけられる事となった。

 屈辱の日テレ一次落ちから約3カ月が経ち、年も明けた2007年1月、いよいよキー局、準キー局をはじめ、地方局の一部などが本格的な選考活動をスタートさせる。

 テレビ局の選考プロセスは、「書類選考→一次面接→筆記試験→面接複数回→内定」という流れをとるところが多い。

 私はもともとテレビや新聞が好きで、それらは毎日欠かさずチェックをしており、それに新聞社の過去問などを解いてみてもそれなりの出来だったので、筆記試験には自信を持っていた。

 しかし、この筆記試験に辿り着けないのである。

 TBSとMBSは書類選考で落とされ、書類選考を通過したテレビ朝日も一次面接であっけなく落とされた。テレビ朝日の面接は流れ作業のような感じで、面接官は私に大した興味を持つこともなく、3分程度で「はい、どうもありがとうございました」と言われ面接を終了させられてしまう。テレビ朝日の合否結果は即日発表だったため、大阪に住む私が家に帰りついた時にはすでに結果が発表されていた。

 夜行バスに8時間揺られて辿り着いた東京でたった3分で面接を終了させられ、鈍行に9時間揺られて帰り着いた大阪で、パソコンの画面に表示された「残念ながら次の選考に進むことは出来なくなりました」という一文を見たときには、さすがの私も泣けてきた。幼いころから夢見ていたテレビ局への夢が、まさかたったの3分でついえるとは。この日からしばらく、テレビ朝日の番組を見ることは出来なくなった。


流れを変えた読売テレビ

 この時点で、手帳は真っ白。他局の書類選考の結果を、不安におびえながら待つ日が何日か続いた。

 一度は「もう自分はテレビ局は無理かもしれない」とあきらめかけた私だが、幸運なことに、その後の書類選考の結果は順調で、再び一次面接に挑む機会を得ることとなる。2月18日の読売テレビ一次面接を皮切りに、21日に北海道文化放送とテレビ東京、22日に朝日放送、23日に瀬戸内海放送、26日に静岡第一テレビ、そして27日に関西テレビと、連日選考続きになり、嬉しい悲鳴をあげる。

 そして迎えた読売テレビの一次面接。まだ、この一次面接を突破出来たことはない。「今日から連日連戦、果たして何勝何敗に終わるのだろうか。もしかして全敗の可能性も……」などと不安におびえながら待っていた受験者控え室で、人事の方から思いもよらない言葉をかけられる。

「一次面接では、何よりも元気を見せてください。そして大きな声で話してください。真面目な顔をして難しい事をボソボソと言われるより、たとえ言っていることがよく分からなくても、元気があって大きな声で話してもらえるほうがいいです。そのほうが面接官も、皆さんと一緒に働きたいと思うでしょう。一次面接では、一緒に働きたいと思えるような人を通します。くれぐれも元気を忘れずに、面接を楽しんで」

 私は目から鱗が落ちる思いだった。今まで私は、大して輝かしくもない過去の経歴を小細工し、雄弁に語っていた。しかしそんな小細工は、面接官は全てお見通しだったのだろう。日本テレビの面接官もテレビ朝日の面接官も、恐らくうんざりするような思いで私の話を聞いていたに違いない。日本テレビやテレビ朝日での一次面接落ちは、当然の結果だったのだ。それに【る】しょ せん【/】所詮【び】学生が語る内容なんて、テレビ局で何年も働いている面接官からしてみれば、どれもそれほど大したことなどない。そんなものを声高に話すより、元気に明るい姿を見せればいいのだ。そう思うと一気に気が楽になった。

 読売テレビの人事の方は、私が面接室に入る前にも「元気に大きな声でね」と声をかけて下さり、私は終始、元気と大きな声だけは忘れないようにして、面接官と向かい合った。何を言ったのかはほとんど覚えていない。

 結果、読売テレビの一次面接は見事合格。そしてそれ以後の面接も「元気」と「大きな声」を心掛け続けた結果、この連戦において、北海道文化放送以外の面接は、全て勝利を手にする事が出来たのだった。読売テレビが、私の負の流れを断ち切ってくれたといえる。


面接では会話のキャッチボールを

 実は、私にはもう一つ実践していたことがあった。それは、今までの面接で、自分が一方的に話をしていたという反省から、一つ一つの受け答えの言葉を短くし、なるべく会話のキャッチボールを弾ませるということ。テレビ局の面接時間は、とても短い。その限られた時間において、グダグダと自分の話をするのは、リスクが大きい。一つの話に2分も3分もかけていては、話の幅は限られてくる。それに、面接官はその話には興味がないかもしれないし、面白くないと思っているかもしれないのだ。

 それよりは、面接官と会話をすることで、面接の雰囲気も良くなるし、面接官にたくさんの言葉をかけてもらえれば、自分も色々な事を話すことが出来る。面接官がこの話は面白くないなと思った場合は、面接官が違う話に切り替えてくれるし、逆に興味がある話の場合はどんどんと突っ込んできてくれる。そうして話が弾めば、面接官に「次もこいつを呼んでみよう」と思ってもらえるのではないだろうか。もちろんそのためには、自分もたくさんの引出しを用意しておかなければならないことは、言うまでもないが。

 筆記試験は、もともと自信があっただけあって負け知らず。私は英語が大の苦手だが、テレビ局の筆記試験の英語はどこの局も、それほど難しくなかったように思う。数学や国語などの範囲からも出題されるが、本屋に並んでいる就職対策本から何か適当なものを選んで一冊やれば、これらの問題には対応できるだろう。

 時事問題対策として私が使っていたのは『朝日キーワード』と、新聞ダイジェスト社の『最新時事用語&一般常識』、そして何より、毎日、テレビと新聞を欠かさずチェックすること。テレビ局の時事問題は政治経済だけでなく、スポーツや文化、芸能などから幅広く出題される。また大阪の準キー局では、お笑いに関する問題も少なからず見受けられ、朝日放送の筆記試験問題では、過去のM‐1優勝者に関する問題が、関西テレビの筆記試験問題でも2007年のR‐1グランプリの優勝者名や、2006年のM‐1グランプリ優勝コンビ名を問う問題などが出題された(ちなみに関西テレビの問題はすべて記述式)。


就職活動の運と縁

 さて、筆記試験が終わると、また面接である。この、面接回数が多いのがテレビ局の選考の大きな特徴の一つであるが、ここで東京のキー局と大阪の準キー局とで明暗が分かれることとなる。

 大阪の準キー局の選考はどこも、自分でも面白いぐらいにトントン拍子で進み、結果的には2社から内定を頂けたのだが、キー局はといえば、フジテレビは1次面接で落ち、テレビ東京も筆記試験の次に行なわれた2次面接で落ちてしまった。

 なぜ準キー局はどこも順調なのに、キー局はどこも早い段階の選考で敗退してしまったのだろうか。

 これについて今振り返ってみれば、私はキー局とは「縁」がなかったのだと思う。

 私は報道志望なのだが、関西で生まれ育ったため、世の中の様々な問題を関西の視点から、関西の視聴者の立場に立って捉え、キー局からの情報の垂れ流しではない、地域に密着した報道をしたいという思いを持っていた。そういった私の思いがうまく面接官に伝わったのだろう。

 しかし、キー局での面接では、自分が報道で一体、何をどう伝えたいのかということを面接官に明確に伝えられず、また、もともと私が東京に対してあまり良い印象を持っていなかったということも相まって、1次面接や2次面接といった早い選考段階で敗退したのだと思う。

 よく「就職活動は運と縁」と言われるが、やはり私もこの「縁」と、多少の「運」に導かれて、準キー局に内定を頂けたのだろう。今となっては、自分には準キー局の方がキー局よりも合っていると感じるし、準キー局に決まったのは運命だとも思う。みなさんも、ぜひ自分と「縁」のある会社と巡り合っていただきたい。



なぜテレビなのかしっかり考えてほしい

 以上が、私のテレビ局内定までの道のりを、簡単に紹介したものである。紙面の都合上割愛したが、テレビ局の選考過程には、面接や筆記試験だけでなく、番組企画プレゼンテーションや、グループディスカッションなど、様々なものがある。それに筆記試験には作文やクリエイティブ問題が付きものだし、最終面接はおそらく、社長や取締役と向かい合っての面接となるだろう。

 そのような選考過程においては、幅広い知識やユーモアセンス、それに物怖じしない度胸など、様々な能力を必要とされる。先に、面接回数が多いのがテレビ局の選考の特徴だと述べたが、面接官は色々と手を変え品を変え、受験者の本当の姿を見抜こうとしているのだ。そこでは、付け焼刃の知識や、うわべだけの言葉などはあっけなく見破られることだろう。テレビ局を目指すなら、ぜひとも強い信念を持って、テレビで何をしたいかということをしっかりと考えていただきたい。

 数あるマスコミの中で、新聞でもラジオでも出版でも広告でもなく、なぜテレビなのか。なぜテレビでないといけないのか。そしてそこでなにを伝えたいのか。テレビ局の面接は幾度となく行なわれるが、今にして思えば、結局はこの部分を繰り返し、様々な角度から聞かれていたように思う。

 最後になりましたが、皆様の就職活動の成功を心よりお祈り申し上げます。来年はぜひ、同じテレビという舞台で一緒に仕事をしましょう。一足お先に待っています。


出発点はスポーツ記者になりたいという思い

Fさん/全国紙、通信社内定:
1年間の韓国留学を終えた大学4年の1月に、就職活動を始めた。しかし、なかなか気持ちを切り替えられず、しばらくは久々に会う友人たちと遊んでばかりいた。

新聞か出版か放送か思い悩んだ末に…

Kさん/放送局内定:
1年間の韓国留学を終えた大学4年の1月に、就職活動を始めた。しかし、なかなか気持ちを切り替えられず、しばらくは久々に会う友人たちと遊んでばかりいた。


多浪・既卒就活の末、出版社の編集者に

S君/出版社内定:
浪人時代も長く、いわゆる「マーチ」に届かない私大出身の私は、全国から秀才が集い、かつ高倍率であるメディアの仕事に就くことが果たして可能なのか、という不安があった。

一貫して広告志望だった私の就職活動

Yさん/広告会社内定:
「人のための課題解決がしたい」ただの綺麗ごとかもしれない。でも、これが広告業界を目指した私の心からの本音だった。私は小学生のころ、人と話すことが苦手で内気な自分にコンプレックスを抱いていた。