日本語が苦手でも
放送記者に

Rさん/慶大 NHK内定

 「どうしても記者になりたい」と思ったのは中学生の時。私はひとりでイギリスに留学しており、災害現場から死にもの狂いでリポートする女性記者の姿が脳裏に焼き付いた。「私がやりたいことはこれしかない!」とその時思った。何事も自分でやらなくては気がすまない性格の私は、自ら現場へ行って原稿を書き、それを自分の声で伝える記者の魅力の虜になってしまったのだ。
 しかし実際私が記者をめざしたのはそれからずっと後だった。当時私は記者とアナウンサーを混同して考えていたからだ。外国ではアナウンサーが当たり前のように現場へ行き、原稿を書く。そのため私は、自分がやりたい仕事はアナウンサーだと思い込んでいた。しかし大学3年の春、テレビ局で働く知り合いに「日本ではそれは記者の仕事」と教えられ、私が本当にやりたい仕事は「記者」だということを知った。なぜこの時まで気付かなかったんだろう、本当に不思議だ。おそらく思い込みの激しいところが私をアナウンサーに突き進ませていたのだろう。

ノート10冊も使い「自分探し」

pic009_s.gif 新たな目覚めと共に私の記者への道が始まった。しかし実際それに向けてやったことは、恥ずかしいが特にない。ただ、毎日テレビのニュースと新聞はかかさず見た。
 それから、帰国子女であるため日本語に問題がある私は、四字熟語や漢字の練習も試験直前にはやった。でも今振返ってみて本当に役に立ったと思えるのは、「自分探し」をやったことだろう。自分の過去を思い出し、それについてノート10冊以上になるくらい書いた。内容は何でもいい。友達の名前や買い物で買った物。行った場所やその時感じたことなど。幸いにも私は、親元を離れた12歳の時から日記をつけるよう親に言われていたため、これが役に立った。両親は私が日本語を忘れないようにと書かせたようだったが、こんな所で役に立つとは日記も馬鹿には出来ない。
 記者になりたいが日本語が出来ない。こんな話は笑い話にもならないが、これが私だった。だから今これを読んでいるあなた、少しぐらい国語が苦手でも気にすることはない。他の良い点で補えば絶対に道は開けてくるのだから。
こうして記者への戦いが始まった。マスコミをめざす人なら誰でもそうだろう。私も取り敢えずアナウンサーを受けた。
 1月11日TBSアナ面接。最初の面接だったためかなり緊張気味で臨んだが、案外楽しく話せた。「面接なんて余裕!」と思いつつ夜友達に電話をすると、「楽しく終わった面接は、結果は良くないよ」と言われガックリ。友達は正しかった……。
 1月15日フジアナ面接。成人式を迎えた着物姿の妹を見て「20歳に戻りたい……」と現実逃避。面接では記者志望のため「報道番組をやりたい」と言うと、「君は記者の方が向いてるよ。是非うちの一般職受けてね」と言われる。それって顔が良くないってこと? と思いながらも記者志望の私は嬉しかった。やっばりアナは顔か? 虚しく敗退。
 1月19日日本テレビアナ面接。書類審査後の面接だったため見渡せば美人ばかり。何で私はここにいるんだろうと思いながら挑んではみたが、面接官も同じ疑問を抱いたのか、話がまったく噛み含わず敗退。
 1月28日テレビ朝日アナ面接。こっちも書類選考があったが、人形のような人は日テレほどはいない。やはり局によってカラーがあるんだろうか。無事通過。
 2月5日テレピ朝日アナ2次面接。この面接が最初の挫折だった。帰国子女である私は、英語を活かして仕事がしたいと主張してきた。そのためか「なぜアナウンサーになりたいのか英語で言って下さい」と言われ素直に答えると、「でもアナウンサーには英語必要ないからねえ」と男性アナウンサーに言われた。国際化が問われている世の中で、こんなこと言っているから駄目なんだー! と言ってやりたかったが、涙をこらえるので精一杯だった。電話が来なかった時は「こっちからお断りだー」と強気。人生は本当に辛い。
 2月9日日本テレビ1次面接。面接官は話をよく聞いてくれたにもかかわらず敗退。やっぱり日テレとは最後まで相性がなかった。

第一志望のNHKセミナーに参加

 2月15日NHK-CTIセミナー。「記者になるならNHK」と考えていたので欠かさず参加。セミナーに参加していなければNHKに入れないという噂もあるが、それは真っ赤な嘘。私の先輩は参加せずに内定を手に入れた。参加して学ぶことは多いのでお勧めだが、周りの噂に流されることのないように! これは就職活動の基本!
 2月18日フジ1次面接。体調最悪のためゆりかもめで倒れつつお台場に到着。アナ面接の時に「是非うちの一般職を…」と言われたので気合入れて行けば、今までにないくらい話が合った。でも自己管理は大切。やっぱり体調は良いに越したことはない! 無事通過。
 2月23日TBS予備面接。本来ならば「自己PR」「志望動機」などを聞かれるはずなのに、何故か「君騎麗だねえー」「アナウンサーの方がいいよ」と言われる。記者志望なのにと思いつつ、どんな内容でも通過すればこっちのもの。無事通過。
 2月25日フジ2次面接。タ方遅い時間帯の面接だったせいか、面接官が疲れ気味で嫌な雰囲気。でも負けまいと話したが、「君は語学が出来るんだから外資に行った方がいいよ」「うちじゃ君はもったいないなあ」なんて言われる始末。「でも私はフジで……」とは言ってみたものの同じことの繰り返し。結局そんな話を20分もして「君はもういいよ」の一言。「もったいない」と思うんだったら採れよーと思ったが、やはり電話は来なかった。
 2月28日TBS1次面接。TBSはフジと違ってかなり感じがいい。人事の方は飲み物を用意していてくれた。しかも「1次を無事通過すると別のものが用意されているからお楽しみに!」と。用意されたオレンジジュースのおかげ(?)で面接も上手くいき、無事通過。
 3月4日TBSクリエイティプテスト&2次面接。クリエイティブテストはIOC問題について。まったく出来なかったが面接で何とかカバー。楽しく面接が終わって「しまった」と後悔したが時は既に遅し。電話は来なかった。
 3月19日テレビ東京1次面接。語学力を買われて無事面接終了。テレ東はかなり感じが良かった。こっちだって選ぶ権利があるんだからこうでなくっちゃ! 無事通過。
 3月26日テレビ東京筆記試験。やはり日経系列だからか、試験は予想以上にハード。でも後で話を聞いてみるとみんな出来なかったらしく一先ず安心で帰宅。しかし電話は鳴らなかった。私が出来な過ぎたのか、それともみんなが謙虚だったのか、おそらく両方だろう。敢え無く敗退。
 4月5日テレビ朝日1次面接。第2志望であるテレ朝の面接がとうとう開始。アナで言われたことなどすっかり忘れて楽しく面接が出来た。やっぱりテレ朝とは話が含う! 無事通過。
 4月9日テレビ朝日2次面接。上手く出来た面接ほど不安になる、そんな面接だった。言いたいことは全て言ったが、果たしてどう思われたのか……。心配をよそに、無事通過。
 4月12日テレビ朝日筆記試験。SPIよりもクリエイティブテストの方が重要だと友達が言っていたのを思い出し、出来る限り自分のクリエイティビティーを出してみた。真面目一筋の私にとってはかなりハードな道のり。ココリコが誰だったか忘れ15分ほど悩む。そして夕方には本命NHKの受付面接。時間は30分と今までになく長い面接。最後に「筆記試験頑張りなさい」とのお言葉を頂く。
 4月13日テレビ朝日健康診断。無事通過の電話を頂き健康診断へ。なんと血を3本も抜かれ貧血気味の私はふらふら。でも体力が資本の記者志望であるため、そんなことは言ってられない。待ち時間に他の受験者と談話。やはりマスコミ志望者は面白い人ばかりだ!! しかしたまに、ナンパしてくる勘違い野郎もいるので注意……。
 4月14日テレビ朝日セミナー。仕事をより分かってもらおうとテレビ朝日側が主催したセミナー。実際に働く先輩から色々な話が聞けて本当に勉強になった。私もここで働きたい!
 4月16日テレビ朝日3次面接。自分なりに言いたいことは100%言えたと思う。でもどこか今までにない不安があった。そしてそれは的中。その晩電話は鳴らなかった…。
 頂上が見えかけていたからか、悔しくて涙が止まらなかった。やっぱりマスコミは厳しい。分かっていたことなのに、ショックだった。

目を腫らしながらNHK筆記受験

 4月18日NHK筆記試験。テレ朝のショックから立ち直れないまま試験に臨んだ。連日泣いたせいか目は腫れ、はっきり言って試験どころではなかった。でもやっぱり一番行きたいテレビ局。ここは女の意地(?)を見せてやろうと思った。でも気合とは裏腹に試験は予想以上に難しく、はっきり言って出来なかった。帰り際に「緒構出来たね」と言いながら帰る受験者の声を耳にし、ショックは更に深まる。私はもう駄目なんだろうか……。しかし何故か通過の電話が。信じられないのと嬉しいのとで思わず涙してしまい人事の方に笑われる。「嬉し涙は大切です。次も頑張って」と言われ、気合が入る。
 4月22日NHK2次面接。何と1対1で70分の長い面接。でも今までで一番自分の話を聞いてもらえたという感触。やっぱり私にはNHKしかない! これで落ちても後悔はないというくらい話が出来た。無事通過の電話を頂く。泣き虫の私はここでもまた泣いてしまった……。次は最終だー!

最終で自己流フランス語!?

pic008_s.gif 4月29日NHK最終面接&健康診断。先に行なった身体検査では緊張のあまり体温が38度に。看護婦さんの「大丈夫よ」の一言も慰めに聞こえない。こんな緊張感の中で迎えた最終面接、理事長室に通されただけで緊張のボルテージは一気に上がってしまった。でも「最後こそ悔いのないように」と思い、一つ一つ質間に答えていく。そして英語の質間の後に、履歴書にフランス語の資格を書いたせいで「フランス語で自己紹介をして下さい」と言われる。まさかそう来るとは思っていなかったため頭がパニックになり、途中で話すことが無くなって気付いたら勝手に言葉を作っていた。よりによってNHKの最終面接で自己流のフランス語を話すなんて何て恐れ多い。その瞬間面接官4人がどっと笑い始めた。「ヤバイー」と思ったが既に時は遅し。これで私とNHKとの縁は切れたと心底思った。人間正直でなくてはいけない。「時にはハッタリも大切だ」と言った先輩を憎んだ。
 4月30日NHK最終面接合格の電話をもらう。「合格です」と言った人事の方の声が何度も頭の中で響いた。信じられず「本当ですか?」と聞き返してしまったくらいだ。電話を切った私は思わず床に座り込んでしまい、気がついたら目から大粒の涙が流れ落ちていた。そして母もまた泣いていた。本当に色んなことがあった4ヵ月間だった。はっきり言って良いことばかりではなかったが、終わりよければ全て良し。辛かった就職活動は素晴らしい思い出になった。「就職活動は楽しむべきだ」とある先輩に言われたが私はそうは思わない。心底辛いと思えるほど一生懸命やった方がいい。何故なら自分の人生だから。そうすればどんな結果になっても自分なりに納得がいくと私は思う。
 私がこの就職戦線を乗り切ることが出来たのは陰で見守ってくれた父、一緒に泣いてくれた母、姉のようにしかってくれた妹、一緒に頑張った友達がいたからである。本当にありがとう。沢山の人に支えられて今の私がいるのだ。これからは自分の好きな仕事を精一杯やりたいと思う。そして最後に、ハッタリ先輩バンザイ!!!


出発点はスポーツ記者になりたいという思い

Fさん/全国紙、通信社内定:
1年間の韓国留学を終えた大学4年の1月に、就職活動を始めた。しかし、なかなか気持ちを切り替えられず、しばらくは久々に会う友人たちと遊んでばかりいた。

新聞か出版か放送か思い悩んだ末に…

Kさん/放送局内定:
1年間の韓国留学を終えた大学4年の1月に、就職活動を始めた。しかし、なかなか気持ちを切り替えられず、しばらくは久々に会う友人たちと遊んでばかりいた。


多浪・既卒就活の末、出版社の編集者に

S君/出版社内定:
浪人時代も長く、いわゆる「マーチ」に届かない私大出身の私は、全国から秀才が集い、かつ高倍率であるメディアの仕事に就くことが果たして可能なのか、という不安があった。

一貫して広告志望だった私の就職活動

Yさん/広告会社内定:
「人のための課題解決がしたい」ただの綺麗ごとかもしれない。でも、これが広告業界を目指した私の心からの本音だった。私は小学生のころ、人と話すことが苦手で内気な自分にコンプレックスを抱いていた。