活字メディアの広告局を志望
Hさん/東京大学 産経新聞、日経BP内定

  大学入学以来ずっと広告の仕事に就きたいと思っていたHさん。
  なかでも活字メディアでの広告の仕事に惹かれ、新聞社と出版社を目指した。
  最終的に出版社に合格した彼女の就活のポイントとは……。


 就職活動を意識し始めた秋、私が初めて「活字メディア(広告局)を志望している」と友達に打ち明けると、「ぽくない」と言われた。たしかに私自身も友達に対し「あの人はテレビっぽい」とか「あの人は記者っぽい」と感じたことがあるからその意味が良く分かり、友達からの客観評価で少し凹んだ。採用担当の人も私のことを客観評価するわけだから、そのイメージがとてもリアルに感じたのだ。しかし、こんなにもやりたいことがあって、やれる気がしている自分を信じたいと思い、当初の躊躇を捨て、“活字メディア(広告局)”に志望を絞った就職活動を始めた。

 周囲からもしあの時「活字メディアに向いていると思う」「うまくいくと思う」というような甘い言葉をかけられていたら、自身に適性があると思い込み、薄っぺらな自信を抱えていただろう。そういった意味では、当初から逆境に立ち向かうような強い気持ちを持つことが出来た私は恵まれていたのだ。また、就職活動についてまわる、自身でコントロール出来ない他者からの評価というものを意識出来るようになったのも、この時からだったように思う。


活字メディアでの広告に強いこだわり

 広告物を芸術作品として鑑賞するのが高校時代から好きだった私は、大学で広告理論(マーケティング・コミュニケーション)を研究分野としていた。だから入学してからずっと、広告に携わる仕事に就きたいと漠然と夢見ていた。

 広告をするなら広告会社と単純に考えていた大学1〜2年だが、広告へのこだわりや思いが強まっていった3年の時には、配属部署が分からないまま入社しなければならない広告会社(クリエーティブ職を除く)よりも、一つのメディアに特化しても広告局での仕事が確実に出来るメディアに魅力を感じるようになった。メディア選定の過程で、受け手に自由な発想の機会を与える印刷物(活字)に、私の思う広告物の“真の響き”が生まれると考え、活字メディアに惹かれていった。

 社会人は「“好き”だけで仕事は出来ない」というような言葉を平然と言うけれど、私は“好き”という感情の中にある自身のロジックを掘り起こすように分析すれば、それは立派な志望動機に繋がると考えている。“どうして広告が好きなのか”“どんな広告に心惹かれるのか”“どうして心惹かれたのか”など、就職活動の最初の段階で自身のロジックを辿ることに時間をかけたことが、結果として就業後を見越したビジョンを描くことに繋がりとても役に立った。


日本テレビ“撃沈”から学んだこと

 私の就活デビューは、マスコミ一選考時期の早い(10月)日本テレビだった。自己分析も業界研究も満足に終えぬまま、エントリーシートを提出。運良く書類選考を通過。そして初面接に“スーパーハイテンション”で臨み撃沈した。

 マスコミから生活者にもたらされる派手なイメージから、マスコミが求める人材もノリやキャラありきなのだと思い込んでいた故の結果だった。マスコミ業界の表面部分にしか目が向けられていなかったと実感した私は、その後の選考では自身の視点や考え、そして各メディアの立ち位置や魅力を自身の言葉で語り、見せ掛けよりも“真面目な中身”で勝負しようと心がけるようになった。

 また、志望者の数や志望者の熱意を間近に感じたことで、“マスコミの壁の厚さ”を痛感した。私はテレビ志望ではなかったが、この時期にマスコミの選考を受ける機会を持てて本当に良かった。マスコミ志望の人は、まず日本テレビの選考を受けることをお勧めしたい。


志望を絞らないというスタンス

 縁も運も就職活動にはついてまわる。努力だけが結果に直結するわけではない。だからこそ私は、“第一志望○○社”“第二志望△△社”と志望する企業に順列をつけることは無駄だと思っていた。当初から活字メディア(広告局)志望という強いこだわりはあったが、受験した新聞社4社・出版社2社の優劣を比較するようなことはほとんどなかった。それぞれの会社の魅力的なところ・そうでないところ、実現可能なこと・実現不可能なことを見出し、それぞれにおいての明るいビジョンを描いていた。それに、もし細かく順列をつけていたら、第一志望の企業に内定出来ない限り、不本意な結果となってしまうことに疑問があった。だから私の場合、数ある企業の中でマスコミの活字メディア(広告局)の6社を並列の第一志望と考えることが程よかった。

 また、今しかない“新卒採用試験を受けられる権利”を最大限満喫したいという思いもあった。もし第一志望の企業を決め、そこの内定が出た時点で就職活動を終了してしまったら、就業後に“こんなはずじゃなかった”と感じた時、後悔が生まれるかもしれない。でも、今満足いくまで就職活動に取り組めば、“あの時やれることは全てやって出した、ベストな答えなのだ”

 と自身の選択に対し将来においても納得することが出来るだろう。

“最善を尽くして内定をとり、それから迷えばいい”と、余計な気の迷いを捨てがむしゃらに取り組むことにしたのだ。


就活の各ステップで考えたこと

@OB・OG訪問

 私はOB・OG訪問を大切に考え、世代や性別ごとに沢山の社員の方とコンタクトした(新聞社4社・出版社2社で計17回)。多忙な社員の方との約束をこぎつけ、時間を割いてもらう以上、1回1回のOB・OG訪問に下準備をしようと自然と真剣になることが出来たし、自身の思いを相手に納得してもらう練習にもなった。そして、会社側の人が自身の話の中でどこに興味を持ち、どこに違和感を覚えるのか、相手の反応も探ることが出来た。

 また、エントリーシートや面接の質問項目によく見られる“入社後に取り組みたい企画”の項目は、必ずアドバイスを貰うようにしていた。ここでは、既存の企画を自身のオリジナルのように語っても何の価値もないため、過去にこのような企画は行われていないか、またこのような企画は実現可能なのか、知る必要があったのだ。私はそれぞれの会社において、そこでやる意義があると論理的に筋の通った企画を最低でも2〜3個は準備した。

 私はそうした社内の人の生の声を聞く機会とは別に、もう一つOB・OG訪問に意義を感じていた。お世話になった社員の方に結果を報告することを自身にとってのいい意味でのプレッシャーと捉え、原動力にしたのだ。例えば、1次選考が筆記試験の新聞社では、どんなに素晴らしいエントリーシートを作成しても、筆記試験をクリア出来なければ面接で思いを伝える資格すら得られない。OB・OGを巻き込んでおきながら「筆記試験で落ちました」と報告する時の情けない状況を想像し、それを回避したい思いから、筆記試験の勉強や面接の対策にストイックになることが出来た。

A事前学習(一般教養・時事問題・英語・作文・SPI対策)

 筆記試験の日時を確認した上で自身が受けることを決めた新聞社(朝日新聞社、読売新聞社、日本経済新聞社、産経新聞社)の4紙を毎日購読し始めた。一つの事実を多角的に読み取ることで、社会の情勢を忠実に学ぶことが出来た。

 また、新聞の紙面分析も同時に行った。情報を

 “受け取る”というより、広告や記事の違いを“探す”という能動的な姿勢で紙面と向き合った。広告では、新聞社によっての広告の配置の違いやコピーの違い、記事との兼ね合いに目を向けた。記事では論調など一般的に言われている違いではなく、文章の咀嚼しやすさや、紙面内の視点の移しやすさなどを含めた発見を心がけた。

 一般教養・時事問題の対策として『日経キーワード』『新聞ダイジェスト』を3回通して読み込み、1回目は内容理解、2回目は要約、3回目は暗記のステップを踏んだ。出題形式を知るために『一般教養の天才』と5年分の過去問で答練した。苦手だった英語の対策としては『朝日キーワード

 時事英語』を使った。新聞社で出題される英語の問題は、時事の知識と文法力・読解力を絡めて答えを導く必要があると感じ、この方法をとった。これらの対策をしつつ、自身で対策ノートを作成し、苦手分野や丸暗記が必要な箇所の情報を集約し、持ち運んで反復して頭に入れるようにした。

 一般教養・時事の知識は作文対策としてもとても役立った。読売新聞社の作文テーマ(業務職)が「コンプライアンス」だったのだが、言葉の意味すら正しく理解出来ずに、文章が書けなかったという友人の声を耳にした。文章や論理構成はその場で考えることが出来るが、テーマに関する知識や見解はその場ではどうすることも出来ないので、充分な対策が必要だ。OB訪問した社員の方から、就職活動時に、作文対策で新聞のコラム(天声人語など)を書き写していたという話を聞いたことがある。私はライターの経験があり、自身の文章力にある程度の自信があったのと、作文よりも一般教養・時事問題に時間を当てたかったので、特に書く練習というのはしなかったが、余裕があれば是非してみたかった対策の一つだ。

 広告会社の筆記試験であるSPIやWebテストは、型にあった問題集を試験前に2〜3冊まとめて解き対策した。

Bエントリーシート・面接

 活字メディアでは、業務採用であっても編集記者同様の文章力や論理的な思考力が求められる。だからエントリーシートには、充分に時間をかけた。新聞社・出版社どうしであっても、内容が使い回せないほど、その会社に対する具体的な内容で綴るよう心がけた。原本が1部しかない上、間違いが許されないエントリーシートでは、1行に入れる文字の配列まで決めてから清書に臨んだ。この文字の切れ目を意識したことが、面接官にとって親切なエントリーシートになったようだ。他にも、カッコや太字を使い、文字情報量の多いエントリーシートの中で自身の絶対に伝えたいキーワードを目立たせるよう工夫した。これらの工夫によって、面接でも自身の話したい項目が面接官の目に留まり、質問項目を予測することが出来た。

 自身の思いを相手に理解してもらおうと求めるばかりでなく、やはり理解してもらうための状況作りから自らで行わなければならないのだと思う。

 エントリーシートを丁寧に仕上げたことで若干の余裕を持つことが出来た面接だが、マスコミ特有の威圧的な雰囲気の面接やとっぴな質問も多くあった。例えば「フランス大統領選挙の予測をし、見解を述べてください」と言われたり、「何で新聞社他社の選考であと一歩のところまで行って落ちたと思いますか?」と言われたり、「あなたは強いほうですか?」といきなり言われたり。これらは対策のしようがないが、メディアの広告局の仕事では、物怖じしない精神的なタフさやテンポの良いレスポンス力といった資質が必要なはずだと考えていた私は、平然と的確に答えることと、面接官の納得が得られているか常に察知することに気を付けて対応した。


“正解”は自分でつくっていくもの

 活字メディアを強く志望してはいたものの、私は活字が大好きな根っからの文学少女というわけではない。研究分野の書籍やビジネス誌を読むことは多いが、名作と言われる文学に触れたことは少なく、他の志願者に引け目を感じていたところがあった。だからと言って、就職活動のためだけに今までの時間で読もうと思わなかった類の本を読んで、外堀を埋める気持ちにはならなかった。

 出版社の選考で、“印象に残っている本・愛読書”は何かという質問に対し、私はレオ=レオニの『スイミー』と答え続けていた。世の中でよしとされる本を背伸びして選ぶよりも、心に響いた本を正直に選んだ。案の定、絵本を語る人は少ないようで、面接官にはいつも驚かれた。でも私自身の自己分析と重なる部分を『スイミー』の主人公の中に感じ、自身を表現するための手段としても話したいと思ったし、自身の中にある“広告物が生活者に与える響き”というものを語る方法としても使いやすいと思ったので、どうしても『スイミー』が良かったのだ。これはある種の賭けだったと思う。インパクトがあってプラスの評価を受けたのか、ふざけていると思われてマイナスの評価を受けたのかは分からないが、面接中に全ての項目を正攻法で固め“優等生”になることよりも、本当の自身を理解してもらうためにリスクを冒すことは、私にとって最も納得のいく攻め方だった。


日経BPを第一志望に決めた

 私は幸運にも日経グループ3社(日本経済新聞社、日経BP、日経ホーム出版社)の選考を順調に進めることが出来た。そのことによってグループ内で、私という人材に対する信用が生まれ、ある段階までは相乗効果を生んでいたように思う。

 最終選考に近づくにつれ他社の選考状況を聞かれるのはどこも同じだと思うが、グループ内での選考状況は特に細かく質問を受けた。内定にリアリティを感じる頃からは一つ一つの企業への思いが強くなり、調子よく「御社が第一志望です」と乗り切ることや、とりあえず内定をもらってから辞退して、会社に迷惑をかけるようなことはしたくないと心から思うようになった。

 そして勤務地、福利厚生などの情報収集をしたり、もう一度そのメディアについてよく考えたりして、それまで決めずにいた志望の順列を考えるようになった。その時、私は日経グループの中で一番魅力を感じていた日経BPを第一志望にしようと決めた。だからその後の日本経済新聞社や日経ホーム出版社の面接で「日経グループ3社の内定がすべて出たら、どこに進もうと思いますか?」と聞かれた時は、「日経グループの一員として働くのが私の夢です。ですから3社内定を頂くような贅沢な状況は想像も出来ませんが、日経BPに進みたいと思います」と答えるようになった。勇気が必要な決断だったが、誠実に対応したことで面接官の方が応援してくださったこともあり、自身の対応に今とても満足している。

 就職活動は、いろいろな感情が目まぐるしく生まれて、一言で言い表すことは出来ないけれど、振り返ってみると素晴らしい成長の機会だったと思います。だから後輩の皆さんも、平等に与えられた新卒採用試験の場を是非満喫してください。私が就職活動中に留意したのは以下の2点です。

一、信念にこだわりをもつこと、そしてそれを貫く意志を持つこと。

一、自分のキャラを知ること、そしてそれを活かすこと。


出発点はスポーツ記者になりたいという思い

Fさん/全国紙、通信社内定:
1年間の韓国留学を終えた大学4年の1月に、就職活動を始めた。しかし、なかなか気持ちを切り替えられず、しばらくは久々に会う友人たちと遊んでばかりいた。

新聞か出版か放送か思い悩んだ末に…

Kさん/放送局内定:
1年間の韓国留学を終えた大学4年の1月に、就職活動を始めた。しかし、なかなか気持ちを切り替えられず、しばらくは久々に会う友人たちと遊んでばかりいた。


多浪・既卒就活の末、出版社の編集者に

S君/出版社内定:
浪人時代も長く、いわゆる「マーチ」に届かない私大出身の私は、全国から秀才が集い、かつ高倍率であるメディアの仕事に就くことが果たして可能なのか、という不安があった。

一貫して広告志望だった私の就職活動

Yさん/広告会社内定:
「人のための課題解決がしたい」ただの綺麗ごとかもしれない。でも、これが広告業界を目指した私の心からの本音だった。私は小学生のころ、人と話すことが苦手で内気な自分にコンプレックスを抱いていた。